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日本画家。明治6年11月24日愛知県に生まれる。本名芳三郎。1887年(明治20)京都に出て望月玉泉(もちづきぎょくせん)に、ついで90年に幸野楳嶺(こうのばいれい)に師事して四条派を学んだ。この年、第3回内国勧業博覧会に出品して褒状を受け、日本青年絵画協会、日本美術協会などでも受賞した。95年、第4回内国勧業博覧会で橋本雅邦(がほう)の『竜虎図』に感動し、翌年上京してその門に入った。1907年(明治40)の東京勧業博覧会に『二日月』を出品して注目を集め、四条派と狩野(かのう)派を巧みに融和させたその表現は多くの追従者を生んだ。またこの年開設された文展の審査員にあげられ、以後官展で活躍することになり、とくに16年(大正5)の第10回文展に出品した『行く春』は、穏和な筆致で自然のたたずまいを情趣豊かにとらえ、その地歩を不動のものにした。15年から36年(昭和11)まで東京美術学校教授。また長流塾を開いて門下を育てた。17年に帝室技芸員、19年に帝国美術院会員、37年には帝国芸術院会員となり、40年文化勲章を受章した。歌もよくし、歌集『多摩の草屋』がある。昭和32年6月30日没。晩年を過ごした東京青梅(おうめ)市御岳(みたけ)の旧居は、玉堂美術館(1961創設)として公開されている。
[原田 実]
『永井信一・難波専太郎解説『現代日本の美術1 下村観山/川合玉堂』(1976・集英社)』▽『河北倫明編『現代の水墨画6 川合玉堂・川端龍子』(1983・講談社)』▽『佐々木直比古他解説『川合玉堂写生帖 花鳥編・山水編』全2冊(1979・グラフィック社)』
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日本画家。愛知県木曾川町に生まれる。本名芳三郎。別号偶庵。1887年京都に出て望月玉泉,続いて幸野楳嶺に師事。その後,橋本雅邦の《竜虎図》に感動,96年上京してその門に入る。狩野派を学び,岡倉天心,雅邦を指導者とする日本絵画協会に出品し,しだいに注目される。1907年東京府勧業博覧会出品の《二日月》が好評を博し,第1回文展以降審査員となる。四条派の親しみやすい即物的作風と,狩野派の折り目正しい品格を合わせた画境を開き,第2次大戦前の日本のどこにでも見られる風景と生活を主題とした。15年東京美術学校教授,19年帝国美術院会員,40年に文化勲章を受けた。代表作に《行く春》《宿雪》《峰の夕》,最晩年の《暮雪》《月天心》がある。晩年を過ごした奥多摩御岳に,61年玉堂美術館が開設された。
執筆者:佐々木 直比古
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1873.11.24~1957.6.30
明治~昭和期の日本画家。愛知県出身。本名芳三郎。京都で望月玉泉・幸野楳嶺(こうのばいれい)に,東京で橋本雅邦(がほう)に師事。1907年(明治40)東京勧業博覧会出品作「二日月」で脚光を浴びる。第1回より文展審査員を務める。15年(大正4)東京美術学校教授。四条派と狩野派を融合させ,穏やかで素直な画風の風景画を描いて人気を博した。歌人としても名高い。帝室技芸員・帝国美術院会員。40年(昭和15)文化勲章受章。51年文化功労者。
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