川口新田(読み)かわぐちしんでん

日本歴史地名大系 「川口新田」の解説

川口新田
かわぐちしんでん

[現在地名]新津市川口・北上きたかみ二丁目

能代のうだい川左岸に位置し、南は北上興野、北はむすぶ新田。元和九年(一六二三)田中新左衛門が開発し、曾根そね興野と称したが、寛永年間(一六二四―四四)川口新田に改称といわれる(中蒲原郡誌)。正保三年(一六四六)新発田藩の御領内高付同物成帳(桂家文書)に高一五四石二斗余とあり、寛文七年(一六六七)と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)には家数二五〇とある。寛政七年(一七九五)堤外の畑地を開発するが、翌八年洪水で堤防が決壊し、流失家屋一九軒の被害があった(新津市誌)

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改訂新版 世界大百科事典 「川口新田」の意味・わかりやすい解説

川口新田 (かわぐちしんでん)

大坂川口海表新田ともいい,現大阪市西部一帯で江戸初期から幕末まで,およそ260年間にわたって開発された諸新田の総称。大阪湾岸河口部の沼沢地やデルタは,大阪平野のうちでは最も新しい沖積層で,陸化の進行にともない,1600年代の初めごろから,干拓にともなう新田の開発が進められたが,元禄年間(1688-1704)になると,大坂三郷に通ずる諸河川の源流から放出される土砂は,木津川安治川,尻無川,伝法川などに堆積し,川口への舟運が不便になった。そのため三郷繁栄と失業者の救済を目的として,町人請負による新田の造成が盛んになり,市岡,泉尾,津守,中島などの大規模新田が生まれた。その後に開発された新田は小規模のものが多いが,既開発新田の増墾もしきりに行われ,反別約2000町歩に達している。多額の投資経営によって開発された新田であるため,請負人は地主として譲渡を認められ,居住者はすべて小作人であった。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「川口新田」の解説

川口新田
かわぐちしんでん

江戸時代,大坂湾に注ぐ神崎川・安治川・大和川などの河口の砂州や海などを開発した五十数カ所,約2000町歩の新田の総称。現在の大阪市此花区・港区・大正区の大部分と西淀川区・西区・浪速区・西成区・住之江区の一部にあたる。開発は江戸時代を通じて順次進められたが,1684年(貞享元)の河村瑞賢による安治川(はじめ新川)の開削後急速に進展。元禄年間には市岡新田・津守(つもり)新田・泉尾(いずお)新田などの大規模な新田が開発された。川口新田の大部分は大坂やその周辺の町人が請け負って開発したもので,彼らは地代金を幕府へ納め,開発費も自費であった。開発後は地主となって小作料を徴収した。

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