川井久徳(読み)かわいひさのり

精選版 日本国語大辞典 「川井久徳」の意味・読み・例文・類語

かわい‐ひさのり【川井久徳】

江戸後期数学者関流和算を坂部広胖(ひろなお)に学び、のち和田寧師事。高次式の根を求める方法などを説いた「開式新法」の著者ともいう。生没年未詳。

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朝日日本歴史人物事典 「川井久徳」の解説

川井久徳

没年:没年不詳(没年不詳)
生年明和3?(1766)
江戸後期の和算家通称は久米之助,のち次郎兵衛幕臣。越前守従五位下,藤原朝臣と称した。明和8(1771)年に江戸幕府勘定奉行となった祖父久敬が安永4(1775)年10月没。父久道は同年1月に没していたため,10歳で祖父の跡を嗣ぎ,530石を領す。経済の才にたけ,祖父と同じく,田安家の財政整理のため家老を勤めた。出生逆算による。和算は,坂部広胖に従い,のち円理を和田寧に学ぶ。多数の著述の中で『開式新法』上下2巻は刊行年が文化2(1805)年と享和3(1803)年説がある。その中で数字方程式の解法を述べ,さらに詳密にした。通常いわれるホーナー(W.G.Horner)の方法よりも早い。経済に明るい大数学者であった。

(道脇義正)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川井久徳」の解説

川井久徳 かわい-ひさのり

1766-1835 江戸時代中期-後期の和算家。
明和3年生まれ。幕府につかえ,納戸頭,作事奉行などを歴任。坂部広胖(こうはん)に関流を,のち和田寧に円理豁術をまなぶ。享和3年(1803)高次方程式諸根をすべて算出する方法をしるした「開式新法」をあらわした。天保(てんぽう)6年3月7日死去。70歳。通称は久米之助,次郎兵衛。著作はほかに「新弧円解」など。

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