川乱村(読み)かわみだれむら

日本歴史地名大系 「川乱村」の解説

川乱村
かわみだれむら

[現在地名]高梁市落合町原田おちあいちようはらだ

阿部あべ村の北に位置し、標高三〇〇―四五〇メートルの高原上に集落が点在する。寛永備中国絵図に村名がみえ、高一四〇石、山崎家治先知。正保郷帳でもほぼ同高、松山藩(以後の領主の変遷は松山西村に同じ)。宮林少・柴山少・芝草山大とあり、枝村に真光寺しんこうじ村をあげる。元禄八年(一六九五)の旧松山領新高帳(羽場文書)では古高三三八石余・新高四二八石余。板倉氏が松山まつやまに入封した延享元年(一七四四)作成の差出帳(仲田文書)によれば、高は同前、田二三町七反余・畑一六町六反余、家数五三(うち本百姓四一・抱六・寺二・神社一・酒屋一・座頭二)・人数二一九、牛一九・馬二、鉄砲五、用水池六、堰九〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android