嵯峨野(読み)さがの

精選版 日本国語大辞典 「嵯峨野」の意味・読み・例文・類語

さが‐の【嵯峨野】

京都市右京区嵯峨、桂川の左岸一帯の称。古くから、秋草や虫の名所として知られる。

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デジタル大辞泉 「嵯峨野」の意味・読み・例文・類語

さが‐の【嵯峨野】

京都市右京区嵯峨付近の呼称。[歌枕
「さびしさは秋の―の野辺の露月にあととふ千代の古道」〈後鳥羽院御集〉

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日本歴史地名大系 「嵯峨野」の解説

嵯峨野
さがの

東は太秦うずまさ、西は小倉おぐら山、北は上嵯峨の山麓、南は大堰おおい(桂川)を境とする平坦な野。往古は葛野かどの(現桂川)の溢水による沼沢地で、未墾地が大半を占めていたが、秦一族が川を改修し、罧原ふしはら堤の完成によって田野の開拓が進み、肥沃な地となった。「三代実録」元慶六年(八八二)一二月二一日条には「山城国葛野郡嵯峨野充元不制、今新加禁、樵夫牧竪之外、莫鷹追兎」とあり、平安遷都後は禁野とされて、天皇・貴族はここで遊猟し、若菜を摘んで遊楽をした。「禁秘抄」には「堀川院御時、頭已下向嵯峨野誠有逍遥是給虫屋向選虫奉之」とあって虫の音を聞きに訪れている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「嵯峨野」の意味・わかりやすい解説

嵯峨野
さがの

京都市右京区、大堰(おおい)川の下流保津(ほづ)川が京都盆地に流れ出て桂(かつら)川となる地の左岸一帯をいう。東は太秦(うずまさ)に続き、西は小倉山(おぐらやま)の山麓(さんろく)、北は丹波(たんば)高地の一部をなす西山山地の山麓の地域。かつて桂川の氾濫原(はんらんげん)であったが、7世紀に秦(はた)氏一族が改修して田野が開けたという。平安時代以降は天皇や貴族たちが遊猟や遊楽にしばしば訪れ、また嵯峨天皇の離宮嵯峨院(現、大覚寺)、後嵯峨上皇の亀山殿(現、天竜寺)、藤原定家の山荘など貴紳の邸宅や寺院が置かれた。文学の舞台ともなり、歌枕(うたまくら)の地でもあった。『枕草子(まくらのそうし)』には「野は嵯峨野」とある。江戸時代には蔬菜(そさい)栽培が盛んになり、竹林も増加した。昭和初年までは葛野(かどの)郡嵯峨村であったが、1931年(昭和6)京都市へ編入。付近一帯は天竜寺、大覚寺をはじめ、『源氏物語』の「賢木(さかき)」に記される野宮(ののみや)神社、『平家物語』の祇王寺(ぎおうじ)、俳人去来の住んだ落柿舎(らくししゃ)、定家ゆかりの厭離庵(えんりあん)、法然上人(ほうねんしょうにん)(源空)の住んだ二尊院、月の名所の広沢池(ひろさわのいけ)や大沢池(おおさわのいけ)、嵯峨釈迦(しゃか)堂とよばれる清凉寺(せいりょうじ)、無縁仏を集めた化野(あだしの)念仏寺などの名所旧跡、愛宕神社参詣道の嵯峨鳥居本(とりいもと)の民家門前町が重要伝統的建造物群保存地区に選定)などが点在し、対岸の嵐山(あらしやま)とともに洛西(らくせい)の観光地として、全国から訪れる人が多い。JR山陰本線(嵯峨野線)のほかに、京福電鉄嵐山線、阪急電鉄嵐山線が通じ、保津川沿いに嵯峨野観光鉄道(トロッコ列車)が走る。また観光道路の嵐山・高雄パークウェイの入り口がある。近年、急激な都市化の影響によって、かつての嵯峨野のおもかげは、風致地区以外で失われつつあるのは惜しまれる。

織田武雄

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「嵯峨野」の意味・わかりやすい解説

嵯峨野
さがの

嵯峨」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の嵯峨野の言及

【嵯峨】より

…京都市右京区の地名。歴史的には山城国葛野(かどの)郡に属し,嵯峨野と記される場合が多く,東は太秦(うずまさ),西は小倉山,北は上嵯峨の山麓,南は大堰川(桂川)を境とする一帯をいう。平安京西郊外に広がる地域で,東隣の太秦の秦(はた)氏の氏寺である広隆寺にみられるように渡来系氏族秦氏を中心として開発が進められていた。…

※「嵯峨野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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