島田(市)(読み)しまだ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「島田(市)」の意味・わかりやすい解説

島田(市)
しまだ

静岡県のほぼ中央、大井川中・下流域に位置する市。宿場町として、また奥地山林を背景とした木材集散地、商工業都市として繁栄した。1948年(昭和23)市制施行。1955年六合(ろくごう)、大津、大長(おおなが)の3村と伊久身(いくみ)村の一部、1961年初倉村を編入。2005年(平成17)榛原(はいばら)郡金谷町(かなやちょう)を合併。2008年同郡川根町(かわねちょう)を編入。JR東海道本線、大井川鉄道、国道1号、同バイパス(藤枝バイパス)、国道473号が通じる。また、東名高速道路の吉田インターチェンジ、新東名高速道路の島田金谷インターチェンジがある。市街地は大井川東岸の扇頂部に位置し、集落は大井川扇状地の自然堤防や氾濫(はんらん)原の中州などの微高地に発達。地名に島、州、新田などが多い。『吾妻鏡(あづまかがみ)』に島田の名がみえ、1601年(慶長6)東海道の宿駅に指定された。大井川を挟んで対岸の金谷も東海道の宿駅で、ともに大井川渡渉の要地として繁栄した。1889年(明治22)東海道線の開通により商工業都市に変容を遂げ、大井川水系の広大な原始林を背景に木材工業が発達。製材製紙パルプ、家具生産が基幹をなした。2003年の製造品出荷額の1位はパルプ・紙の635億円であった。自動車計器、精密機械、食品、印刷、繊維工業も盛んである。北部山沿い地域は茶、ミカン、シイタケ栽培と林業、中・南部大井川沿岸は米、レタス、施設園芸、南部の牧ノ原台地は茶園が開かれている。かつての川越(かわごし)の宿場町として独特な文化が育ち、3年に1回の帯祭や、大井川の輦台(れんだい)渡しは有名。日本髪の象徴島田髷(まげ)の発生地ともいわれる。智満寺(ちまんじ)本堂および千手観音(せんじゅかんのん)像、慶寿寺釈迦(しゃか)十六善神像は国指定重要文化財。島田宿大井川川越遺跡は国指定史跡。智満寺の十本スギは国指定天然記念物。面積315.70平方キロメートル、人口9万5719(2020)。

[川崎文昭]

『『島田市史』上中下(1968~1978・島田市)』


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