20世紀日本人名事典 「島木 赤彦」の解説
島木 赤彦
シマキ アカヒコ
明治・大正期の歌人,教育家
- 生年
- 明治9年12月17日(1876年)
- 没年
- 大正15(1926)年3月27日
- 出生地
- 長野県諏訪郡上諏訪村(現・諏訪市)
- 本名
- 久保田 俊彦(クボタ トシヒコ)
- 旧姓(旧名)
- 塚原
- 別名
- 別号=伏龍,山百合,柿の村人,柿蔭山房主人
- 学歴〔年〕
- 長野師範〔明治31年〕卒
- 経歴
- 長野師範学校卒業後、県内各地の小学校教員をしながら作歌をし、明治38年太田みづほのや(水穂)との合著詩歌集「山上湖上」を刊行。41年「阿羅々木」(のちの「アララギ」)が創刊され、左千夫門下の斎藤茂吉、中村憲吉らと作家活動に参加し、大正2年中村憲吉との合著「馬鈴薯の花」を刊行。その後、島木赤彦の筆名を使う。3年上京し、淑徳高女の講師をしながら「アララギ」の編集を担当。4年「切火」を刊行。アララギの中心歌人となり、写実的歌風を確立。9年「氷魚」を、13年「太虚集」を刊行し、死後の15年「柿蔭集」が刊行された。これらの歌集のほか、唯一の歌論集「歌道小見」や「赤彦全集」(全9巻・別1巻 岩波書店)が刊行されている。“鍛練道”の唱道者。平成5年長野県下諏訪町に赤彦記念館が設立された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報