岩野 泡鳴(読み)イワノ ホウメイ

20世紀日本人名事典 「岩野 泡鳴」の解説

岩野 泡鳴
イワノ ホウメイ

明治・大正期の詩人,小説家,評論家,劇作家



生年
明治6年1月20日(1873年)

没年
大正9(1920)年5月9日

出生地
名東県津名郡洲本(現・兵庫県洲本市)

本名
岩野 美衛(イワノ ヨシエ)

別名
別筆名=白滴子,阿波寺 鳴門左衛門

学歴〔年〕
明治学院普通学部本科〔明治22年〕,仙台神学校(東北学院)中退

経歴
少年時代に伝道師になるつもりで受洗したが、エマソンにひかれてキリスト教懐疑を抱き離脱する。雑誌記者などをしながら文学を志し、明治27年「女学雑誌」に戯曲「魂迷月中刃」を連載、同年「桂吾良」と改題して刊行し、初めて泡鳴の号を用いた。34年処女詩集「露じも」を自費出版。35年「明星」に参加して同誌に詩や評論を発表するが、36年脱退して相馬御風らと「白百合」を創刊。39年評論「神秘的半獣主義」で刹那主義的な文芸観を開陳、のち「新自然主義」「悲痛の哲理」などで同論を発展させて文芸と生活の一元化や、一人物の眼による作中の全世界の統合(一元描写)などを主張した。42年小説「耽溺」を発表して自然主義文学の作家として地位を確立。しかし間もなく生活上の行きづまりから樺太に渡って蟹の缶詰事業を企てたが、失敗に終わった。また度重なる女性スキャンダルでも世間を騒がせたが、その人生経験は文芸と生活の一元化や一元描写などの主張に従い、連作長編「発展」「毒薬を飲む女」「放浪」「断橋」「憑き物」などの“泡鳴五部作”に結実した。主観的な独自な思想は客観的な自然主義作家たちの中で異彩を放ち、一つの思想の下にほぼ全作品を統御した希有な作家として日本文学史上に重要な地位を占める。他の作品に詩集「夕潮」「闇の盃盤」「恋のしやりかうべ」、小説「芸者小竹」「征服非征服」「猫八」「子無しの堤」などがあり、「泡鳴全集」(全18巻 広文庫)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「岩野 泡鳴」の解説

岩野 泡鳴 (いわの ほうめい)

生年月日:1873年1月20日
明治時代;大正時代の小説家;評論家。雑誌「日本主義」主幹
1920年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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