岩船潟(読み)いわふねがた

日本歴史地名大系 「岩船潟」の解説

岩船潟
いわふねがた

北はてら山・浦田うらだ山、東は現岩船郡神林かみはやし七湊ななみなと、南は同村新飯田にいだ小口川こくちがわ、西は岩船町の間に広がっていた潟湖。「日本書紀」斉明天皇四年(六五八)夏四月条に阿陪臣が軍船一八〇艘を率いて蝦夷と戦ったことがみえるが、この船団の屯所をこの潟付近と考える説もある。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図には野地に囲まれた潟が描かれる。「桃川」(百川)・「との岡川」(石川)助淵すけぶち川が注ぎ、岩船町と三日市みつかいち村の間で日本海へとつながる。潟の中に小島があり、社が描かれる。正保国絵図では横一〇町・長さ二〇町とあり、潟の落口に「此浜荒磯ニテ舟懸ナシ、潟モアサク舟入リガタシ」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報