岩村田町(読み)いわむらだまち

日本歴史地名大系 「岩村田町」の解説

岩村田町
いわむらだまち

[現在地名]佐久市岩村田

佐久平さくだいらの東寄りに位置する。東南部を川が渓谷をなして流れ、北西部は浅間山南麓の末端に近い平坦地で、湯川の東は横根よこね上平尾かみひらお下平尾しもひらお新子田あらこだ、南は猿久保さるくぼ、西は根々井ねねい平塚ひらつか赤岩あかいわ西北長土呂ながとろ前田原まえたばら小田井おたいの諸村である。岩村田の名は文安四年(一四四七)一一月の諏訪御符礼之古書(守矢真幸氏蔵)に「岩村田、御符礼三貫三百文、頭役銭五拾貫文、馬一疋、大井播磨守持光被勤候」とあり、続いて同書の享徳三年(一四五四)七月に「岩村田庄、大井太郎政光」とみえる。

町域南西部にある一本柳いつぽんやなぎ遺跡は弥生時代後期の代表的なもので、十数戸の竪穴式住居群が発掘された。この付近は、下県しもがた(現佐久市下県)で千曲川を渡り湯川沿いに平尾山の北側を通って碓氷うすい(現北佐久郡軽井沢町入山峠付近)に至る「延喜式」所載の官道以前の東山道の道筋にもあたったと考えられる。

中世の八条院領大井庄は、岩村田を中心にしたそれほど広い地域ではなかったと考えられる(北佐久郡志)。信濃国守護小笠原長清の七男朝光がここに定住して大井氏を称して支配した。建武二年(一三三五)中先代の乱の信州大井庄合戦(河野土居系図)で「大井城(参考太平記)は落城する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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