岡田謙三(読み)オカダケンゾウ

デジタル大辞泉 「岡田謙三」の意味・読み・例文・類語

おかだ‐けんぞう〔をかだケンザウ〕【岡田謙三】

[1902~1982]洋画家神奈川の生まれ。フランス留学。帰国後は二科会に所属して叙情的な具象画発表。のち渡米し、ニューヨーク定住。東洋美を抽象に託した画風異彩を放った。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡田謙三」の意味・わかりやすい解説

岡田謙三
おかだけんぞう

[生]1902.9.28. 横浜
[没]1982.7.25. 東京
画家。 1922年東京美術学校入学,24年中退し,渡仏藤田嗣治交友。 27年帰国,29年から二科展に出品し,37年二科会会員。 50年渡米して数回個展を開き,抽象的な表現のなか日本感性をたたえた優雅な色感がアメリカで高く評価された。以後ベネチアビエンナーレ (1958) ,ダン国際展 (63) などで受賞を続け,国際的な評価を得た。 67年毎日芸術賞を受賞。 60年アメリカ合衆国の市民権を得てニューヨークに在住。自由な色面構成による作品を制作し,ユーゲニズム (幽玄主義) を提唱した。主要作品『元禄』 (57,東京国立近代美術館) ,『とぶ』 (58) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡田謙三」の意味・わかりやすい解説

岡田謙三
おかだけんぞう
(1902―1982)

洋画家。横浜市に生まれる。東京美術学校西洋画科を中退して、1924~27年(大正13~昭和2)フランスに留学する。38年二科会員。50年(昭和25)からニューヨークに住み、ピッツバーグのカーネギー国際美術展やベネチア・ビエンナーレ展で受賞。第3回現代日本美術展で国立近代美術館賞を受けた『元禄(げんろく)』(1957)ほか、日本的な装飾性と叙情性を生かした抽象作風により、ユーゲニズム(幽玄主義)と称せられた。60年フォード財団美術賞を受け、合衆国市民権を得た。67年第8回毎日芸術賞受賞、東京で没した。

[小倉忠夫]

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百科事典マイペディア 「岡田謙三」の意味・わかりやすい解説

岡田謙三【おかだけんぞう】

画家。横浜市生れ。1924年東京美術学校を中退し渡仏。1927年帰国し,1929年二科展入選。1937年二科会会員(1958年退会)。1950年渡米。1953年ニューヨークで初個展を開く。1960年にアメリカ市民権を取得。日本の幽玄的な装飾空間を画面に取り入れた,独自の抽象絵画を展開して評価された。1989年富山県立近代美術館で回顧展。
→関連項目ベネチア・ビエンナーレ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田謙三」の解説

岡田謙三 おかだ-けんぞう

1902-1982 昭和時代の洋画家。
明治35年9月28日生まれ。大正13年フランスに留学。昭和2年帰国,のち二科会会員となる。25年からニューヨークにすみ,抽象絵画に転じる。カーネギー国際美術展,ベネチア-ビエンナーレなどおおくの国際展で受賞。昭和57年7月25日死去。79歳。神奈川県出身。東京美術学校(現東京芸大)中退。作品に「TIME」「元禄」「入江」など。

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世界大百科事典(旧版)内の岡田謙三の言及

【アメリカ美術】より

…一部のヨーロッパ系美術の影響を除けば,日本の戦後美術はアメリカの同時代美術の文脈をたどって形成されたもので,その傾向は今も続いている。戦後アメリカで活動した画家には岡田謙三(1902‐82),猪熊弦一郎(1902‐93),川端実(1911‐ ),新妻実(1930‐ ),篠原有司男(うしお)(1932‐ ),河原温(かわらおん)(1933‐ ),荒川修作(1936‐ )らがいる。【桑原 住雄】。…

※「岡田謙三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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