岡田嘉子(読み)オカダヨシコ

デジタル大辞泉 「岡田嘉子」の意味・読み・例文・類語

おかだ‐よしこ〔をかだ‐〕【岡田嘉子】

[1902~1992]女優広島の生まれ。女子美術学校卒。新劇から映画界に入り、昭和13年(1938)演出家杉本良吉ソ連亡命。スパイ容疑をかけられるが、のちソ連市民権を得る。著作に「悔いなき命を」など。

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百科事典マイペディア 「岡田嘉子」の意味・わかりやすい解説

岡田嘉子【おかだよしこ】

女優。広島県出身。女子美術学校(現,女子美術大学)卒業。1919年に新芸術座に入座,女優として初舞台を踏む。1923年から日活映画にも出演し,《髑髏(どくろ)の舞》で映画初主演。1925年の《大地は微笑む》で同年の映画女優人気投票トップとなる。日活退社後の1938年に演出家杉本良吉と樺太(からふと)の国境線を越えてソビエト連邦(ソ連)に駆け落ちし,話題となった。しかし,2人はソ連で捕えられ,1939年に杉本は獄中病死(1989年にスパイ容疑で銃殺判明)。1947年に岡田は釈放されたが,日本へは帰国しなかった。しかし,国を挙げての働きかけにより1972年に帰国。1980年代後半のソ連のペレストロイカを機に,1986年にソ連に戻った。→にっかつ(日活)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡田嘉子」の意味・わかりやすい解説

岡田嘉子
おかだよしこ
(1902―1992)

女優。広島県生まれ。東京女子美術学校在学中から舞台に出演、舞台協会の『出家とその弟子』で認められた。1922年(大正11)日活作品『髑髏(どくろ)の舞』で映画にデビュー、以後映画、新派スターとして名声を得たが、38年(昭和13)演出家杉本良吉と樺太(からふと)(サハリン)の国境を越えて当時のソ連に亡命した。その後市民権を獲得し、ルナチャルスキー演劇大学演出科卒業後はモスクワ放送に勤務したが、74年(昭和49)以降はソ連の「文化使節」として日本に長期滞在し、新劇から商業劇場に及ぶ幅広い活躍をみせた。

[大島 勉]

『岡田嘉子著『悔いなき命を』(1973・広済堂出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡田嘉子」の意味・わかりやすい解説

岡田嘉子
おかだよしこ

[生]1902.4.21. 広島
[没]1992.2.10. モスクワ
女優。東京女子美術学校卒業。 1921年舞台協会の公演『出家とその弟子』で認められ,23年映画界に入ってスターとなる。 36年井上正夫演劇道場に参加,38年演出家の杉本良吉と樺太 (サハリン) からソ連へ亡命し,話題となった。ソ連で演劇大学に学び,演劇活動に従事し,モスクワ放送局日本部で活躍。 72年里帰りし,74年再来日して日本の演劇界に復帰,映画,テレビにも出演したが,86年モスクワへ戻った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田嘉子」の解説

岡田嘉子 おかだ-よしこ

1902-1992 大正-昭和時代の女優。
明治35年4月21日生まれ。大正12年日活の「髑髏(どくろ)の舞」で映画初出演。舞台,映画で人気をえる。昭和13年演出家杉本良吉と樺太(サハリン)国境をこえソ連にはいる。スパイ容疑で拘束されるが,のちソ連市民権を獲得。47年よりたびたび里帰りした。平成4年2月10日死去。89歳。広島県出身。女子美術学校卒。著作に「悔いなき命を」など。

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