岡崎(市)(読み)おかざき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡崎(市)」の意味・わかりやすい解説

岡崎(市)
おかざき

愛知県中央部、西三河(にしみかわ)地方の中心都市。徳川家康の生誕地として知られる。1916年(大正5)市制施行。1928年(昭和3)岡崎、美合(みあい)、男川(おとがわ)の3村、1955年(昭和30)福岡、岩津(いわづ)、矢作(やはぎ)の3町と、竜谷(りゅうがや)、藤川、山中、本宿(もとじゅく)、河合(かわい)、常磐(ときわ)の6村、1962年六ツ美(むつみ)町を編入。2003年(平成15)中核市に移行。2006年額田町(ぬかたちょう)を編入。JR東海道本線が通じ、愛知環状鉄道を分岐する。また、名古屋鉄道本線が通じ、名古屋へは約40分。道路は、東名高速道路(岡崎インターチェンジ)、新東名高速道路(岡崎東インターチェンジ)、国道1号、248号、301号、473号が走る。三河高原の南端に位置し、岡崎平野との接点にあり、矢作川、乙(おと)川、男川が市内を貫流。岡崎の名は地勢からつけられたらしく、山地末端が市街中央に延び甲山(かぶとやま)(約65メートル)となり、岡と坂の多いのが特徴。岡崎城は三河守護代西郷稠頼(つぐより)が1455年(康正1)築き、のちに松平清康(きよやす)(家康の祖父)が入城し、市場も設けたという。しかし、本格的な城下町づくりは1590年(天正18)田中吉政(よしまさ)によってである。江戸時代には5万石の城下町、東海道五十三次の宿場町としてにぎわった。本多、水野、松平(松井)、本多の歴代城主は譜代(ふだい)大名で幕府要職にもついた。明治初年、三河10藩が額田(ぬかた)県となり県庁は岡崎城内に置かれた。城跡はいま岡崎公園となっているが堀、石垣は当時のまま、東照公産湯(とうしょうこううぶゆ)の井、復原天守閣(1959)、「三河武士のやかた家康館」などもある。

 中心部は1945年(昭和20)の戦災で大半が焼失、4年後には戦災復興モデル都市、現在は再開発事業が完成して、西三河全域の商業の中心となっている。工業は近代工業の繊維、化学、自動車工業と伝統工業の石材工業、花火、八丁(はっちょう)みそ、ガラ紡、特紡などの複合工業型となっており「石都(せきと)岡崎」の異名がある。史跡に富み、大平一里塚、真宮遺跡(しんぐういせき)、北野廃寺跡などは国指定史跡。また家康ゆかりの社寺としては大樹(だいじゅ)寺はじめ、伊賀八幡(はちまん)宮、六所(ろくしょ)神社、瀧山(たきさん)東照宮などがあり、大樹寺は徳川氏の菩提寺で松平8代の墓がある。祭りには瀧山寺鬼祭、家康行列などがあり、菅生(すごう)川(乙川の下流)畔の夏の夜の花火大会は有名。そのほか、岡崎市美術博物館、岡崎市美術館、おかざき世界子ども美術博物館、郷土館(建物は国指定重要文化財)などの文化施設があり、自然科学研究機構の岡崎共通研究施設、愛知学泉大学、愛知産業大学、人間環境大学、県立農業大学校など、教育・研究機関も多い。面積387.20平方キロメートル、人口38万4654(2020)。

[伊藤郷平]

『柴田顕正編『岡崎市史』10巻・別巻1(1926~1935・岡崎市)』『『新編岡崎市史』全20巻(1983~1993・岡崎市)』


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