岡倉覚三(読み)おかくらかくぞう

世界大百科事典(旧版)内の岡倉覚三の言及

【岡倉天心】より

…明治期の美術指導者。越前福井藩を背景に横浜で貿易を営む石川屋勘右衛門の次男に生まれた。幼名角蔵のち覚三。幼時から英語を学び,漢籍にも親しんだ。東京外国語学校,東京開成学校をへて1877年東京大学文学部に入学,政治学,理財学などを学ぶが,そこでアメリカ人教師フェノロサに接し,その日本美術研究を手伝ったことが生涯を方向づけた。80年に文部省に出仕して音楽取調掛を命じられたが,まもなく図画教育調査会委員に挙げられ,古社寺宝物調査にもたずさわって,美術行政面に頭角をあらわしはじめた。…

※「岡倉覚三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」