岡倉由三郎(読み)オカクラヨシサブロウ

デジタル大辞泉 「岡倉由三郎」の意味・読み・例文・類語

おかくら‐よしさぶろう〔をかくらよしサブラウ〕【岡倉由三郎】

[1868~1936]英語学者。横浜の生まれ。天心の弟。東京高師教授。英語の教育普及尽力編著新英和大辞典」「発音学講話」など。

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精選版 日本国語大辞典 「岡倉由三郎」の意味・読み・例文・類語

おかくら‐よしさぶろう【岡倉由三郎】

英語学者。天心の弟。横浜の生まれ。日本における英語教育先駆者。訳読主義に対し新教授法を提唱。著「新英和大辞典」「発音学講話」など。明治元~昭和一一年(一八六八‐一九三六

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改訂新版 世界大百科事典 「岡倉由三郎」の意味・わかりやすい解説

岡倉由三郎 (おかくらよしさぶろう)
生没年:1868-1936(明治1-昭和11)

言語学者,英語英文学者。天心の弟。1887年帝国大学文科大学選科に入学,博言学(言語学)をB.H.チェンバレンに,英語をJ.M.ディクソンについて修める。96年高等師範学校奉職。はじめ言語学をもっぱら研究し,99年新村出らと《言語学雑誌》を発刊する。1902-05年ドイツ,イギリスに留学。在英中に行った日本文化に関する講演がG.メレディスの序文を付して英文著作《日本の精神The Japanese Spirit》(1905)となる。帰国後は英語教育にも力を入れ,従来の訳読主義の教授法に対し,いわゆる新教授法を提唱,自ら教科書を編纂し,その理論を実践する。21年より市河三喜と《英文学叢書》の主幹を務め,32年全100巻の刊行を遂げる。23年言語と文学の理解鑑賞により東西文明の融和を図ることを目ざし,福原麟太郎らと洋々塾をつくる。25年高師退職後は立教大学に奉職。26年よりラジオ英語講座初等科を担当。27年俗に〈岡倉英和〉の名で親しまれる《研究社新英和大辞典》を編纂。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡倉由三郎」の意味・わかりやすい解説

岡倉由三郎
おかくらよしさぶろう
(1868―1936)

英語学者、英文学者。横浜に生まれる。岡倉天心の弟。5歳のとき東京に移る。漢学塾、英学塾その他で修業し、帝国大学文科大学(東京大学文学部の前身)選科に入学、得業士の学位を得て卒業。朝鮮の京城(ソウル)で日本語を教え、鹿児島の造士館(後の第七高等学校)の教授を経て、1902年(明治35)から3年間、イギリス、フランス、ドイツに留学し、英語、言語学などを研究。帰国後東京高等師範学校(現、筑波(つくば)大学)の教授を務め、1925年(大正14)の定年退職後は立教大学教授となった。晩年には「ベーシック英語」に専心、これを英語教育に利用しようとしたが、その準備がほぼ整ったころ死去した。ラジオによる英語講座や英和辞典の編纂(へんさん)など、英語の普及に業績があった。

[宮田幸一 2018年10月19日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡倉由三郎」の解説

岡倉由三郎 おかくら-よしさぶろう

1868-1936 明治-昭和時代前期の英語学者。
慶応4年2月22日生まれ。岡倉天心の弟。岡倉士朗の父。明治30年高等師範教授となり,福原麟太郎(りんたろう)らをそだてた。大正14年からわが国ではじめてラジオの英語講座を担当。また市河三喜とともに「英文学叢書」を監修し,「新英和大辞典」を編集した。昭和11年10月31日死去。69歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。帝国大学卒。著作に「英語教育」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡倉由三郎」の意味・わかりやすい解説

岡倉由三郎
おかくらよしさぶろう

[生]明治1(1868)
[没]1936
英語学者。天心の弟。東京高等師範学校教授。英語教育に力を入れ,日本で最初のラジオ放送による初等英語講座を担当。『新英和大辞典』 (1927) を監修。

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世界大百科事典(旧版)内の岡倉由三郎の言及

【英語】より

…だが,当時もまだ英語は知識吸収の媒体としての性格が相変わらず強く,大勢としては訳読による理解が中心で,英語での発表の教育はまったく不十分であった。その中で,東京,大阪などの外国語学校,高等商業学校,英・米人宣教師の多いキリスト教系の学校などで会話や発音にも重きが置かれた教育が行われるようになり,また高等師範学校や津田梅子創立(1900)の女子英学塾(津田塾大学の前身)などで日本人英語教師が養成されるにいたり,明治末ころには従来用いられた英・米の教科書に代わって自前の教科書や各種辞典,文典が発刊され,岡倉由三郎らの英語教授法を論じた著作も世に出た。 1913年には第1回英語教育大会が開かれたが,大正中期以降学校教育における英語教育の存廃がたびたび論じられるようになった。…

※「岡倉由三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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