山辺道上陵(読み)やまのべのみちのへりよう

日本歴史地名大系 「山辺道上陵」の解説

山辺道上陵
やまのべのみちのへりよう

[現在地名]天理市渋谷町

古事記景行天皇段に「天皇の御年、壱佰参拾漆歳。御陵は山辺の道の上に在り」、「日本書紀」成務天皇二年一一月一〇日条に「大足彦(景行)天皇を倭国の山辺道上陵に葬りまつる」、「延喜式」(諸陵寮)に「山辺道上陵纏向日代宮御宇景行天皇、在大和国城上郡」とみえる景行天皇陵を「大和志」は「在柳本村東称御陵みさヽき陵畔有冢六」とし、現在崇神天皇陵に比定されている柳本やなぎもと町の行燈山あんどんやま古墳とする。また同書は崇神天皇陵を「在渋谷村南今称向山陵陵畔有冢四」として渋谷向山しぶたにむかいやま古墳に比定し、安政二年(一八五五)の崇神天皇陵ニ付言上書写(渋谷区有文書)

<資料は省略されています>

とあるように渋谷向山古墳が崇神天皇陵とされていたが、安政四年の谷森善臣著「藺笠のしづく」に

<資料は省略されています>

とみえ、以後景行天皇陵を渋谷向山古墳に比定する考えが今日まで行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報