山県悌三郎(読み)ヤマガタテイザブロウ

デジタル大辞泉 「山県悌三郎」の意味・読み・例文・類語

やまがた‐ていざぶろう〔‐テイザブラウ〕【山県悌三郎】

[1859~1940]教育者近江の生まれ。教職を経て文部省御用がかりとなり、教科書編纂へんさんにたずさわる。下野して後の著作に「教育哲学史」「進化要論」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山県悌三郎の言及

【児童雑誌】より


[日本]
 日本では,1877年創刊の《穎才(えいさい)新誌》のような児童向け投書雑誌などがあったが,イギリスの児童雑誌の影響を強く受けて,88年創刊された《少年園》が最初の本格的児童雑誌といわれる。文部省で教科書作成にあたった山県悌三郎を主筆に,教育・啓蒙を発刊の主旨とした。執筆者には森鷗外や坪内逍遥の名もみられる。…

【小国民】より

…初めは月刊,1周年号から月2回刊。それ以前に創刊された《少年園》(1888‐95,山県悌三郎主幹),《日本之少年》(1889‐94,博文館発行),その後に創刊された《少年文武》(1890‐92,中川霞城編集発行)などとともに,明治20年代の有力な少年雑誌である。修身,歴史,文芸,娯楽などの平易な記事と挿絵で小学生の読者を獲得した。…

※「山県悌三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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