山本実彦(読み)やまもとさねひこ

精選版 日本国語大辞典 「山本実彦」の意味・読み・例文・類語

やまもと‐さねひこ【山本実彦】

出版人。鹿児島県出身。東京毎日新聞社長などを歴任後、大正八年(一九一九)、改造社を創立して総合雑誌改造」を創刊。また「現代日本文学全集」を刊行し、いわゆる円本時代の口火を切った。明治一八~昭和二七年(一八八五‐一九五二

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デジタル大辞泉 「山本実彦」の意味・読み・例文・類語

やまもと‐さねひこ【山本実彦】

[1885~1952]出版事業家・政治家。鹿児島の生まれ。新聞記者を経て、総合雑誌「改造」を創刊。昭和初年「現代日本文学全集」を刊行し、円本えんぽん時代をつくる。衆議院議員

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山本実彦」の意味・わかりやすい解説

山本実彦
やまもとさねひこ
(1885―1952)

出版人。改造社の創業者。鹿児島県生まれ。日本大学、法政大学に学ぶ。『やまと新聞』を経て『東京毎日新聞』社長に就任(1915)。1919年(大正8)改造社を創業、総合雑誌『改造』を創刊。大正デモクラシーのなかで『中央公論』とともに声価を得る。大正末期から昭和初期にかけて『現代日本文学全集』を出版、大量生産、廉価販売が成功して1冊1円の円本ブームの契機をつくった。一方、政治にも関心をもち、1930年(昭和5)に民政党から代議士当選。第二次世界大戦後、協同民主党(のち国民協同党)を結成して委員長となったが、1947年(昭和22)公職追放された。1951年に追放解除され、改造社社長に復帰するが翌昭和27年病死。明暗の多い生涯だったといわれる。著作に『人と自然』(1937)などがある。

[清田義昭]

『栗田確也編『出版人の遺文 第二冊 改造社・山本実彦』(1968・栗田書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「山本実彦」の意味・わかりやすい解説

山本実彦 (やまもとさねひこ)
生没年:1885-1952(明治18-昭和27)

出版経営者,政治家。鹿児島県川内生れ。法政大学専門部卒業後《やまと新聞記者となり,1915年東京毎日新聞社長となる。19年改造社を創立。雑誌《改造》は勃興しつつあった社会運動・社会主義関係の特集号を組むとともに,文壇の大家・新人の創作を多数掲載して,大正末期には《中央公論》と並ぶ代表的総合雑誌に成長し,また改造社は円本発売の口火を切った。政治家としては1909年東京市会議員,30年衆議院議員(民政党)となり,戦後も第1回総選挙で当選して国民協同党委員長となるが,47年公職追放にあい,追放解除の翌年死亡した。
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百科事典マイペディア 「山本実彦」の意味・わかりやすい解説

山本実彦【やまもとさねひこ】

新聞雑誌経営者,政治家。鹿児島県出身。法政大学夜間部法律科卒。《やまと新聞》記者などを経て,1915年《東京毎日新聞》社長。1919年改造社を興して《改造》を創刊。大正末期には《中央公論》と並ぶ代表的総合雑誌になった。また書籍部門では,昭和の初め《現代日本文学全集》を刊行し,円本の流行のさきがけとなった。1930年衆議院議員に当選。1946年協同民主党(のち国民協同党)委員長。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山本実彦」の意味・わかりやすい解説

山本実彦
やまもとさねひこ

[生]1885.1.5. 鹿児島,川内
[没]1952.7.1. 東京
大正・昭和期のジャーナリスト。日本大学に学んだのち,新聞界に入り,1910年『やまと新聞』ロンドン特派員,15年『東京毎日新聞』社長に就任。 19年改造社を創立して総合雑誌『改造』を創刊,社会主義や労働問題の記事,論文により『中央公論』とともに論壇のトップを切った。また大正末期のベストセラー,賀川豊彦の『死線を越えて』や大杉栄の『自叙伝』などの出版も行い,昭和に入って『現代日本文学全集』でいわゆる円本時代をつくった。 46年衆議院議員当選,協同民主党委員長となったが公職追放となる。 51年追放解除後,改造社社長に復したが,翌年没。

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朝日日本歴史人物事典 「山本実彦」の解説

山本実彦

没年:昭和27.7.1(1952)
生年:明治18.1.5(1885)
大正昭和期の出版経営者,政治家。鹿児島県川内に生まれる。日大卒業。『やまと新聞』ロンドン特派員,『門司新報』主筆などを経て,大正4(1915)年東京毎日新聞社主に就任。8年,改造社を創立,総合雑誌『改造』を創刊。当時の民主主義運動,社会運動の波に乗って,同誌を『中央公論』とならぶ有力雑誌に育てた。また,昭和初期には大規模な予約全集企画『現代日本文学全集』を成功させ,1冊1円のいわゆる円本ブームの先駆者となった。昭和5(1930)年衆院議員に当選。戦後,再び改造社を起こしたが,病没。時流に敏感な出版経営者であった。

(有山輝雄)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本実彦」の解説

山本実彦 やまもと-さねひこ

1885-1952 大正-昭和時代の出版人,政治家。
明治18年1月5日生まれ。山本重彦の兄。「やまと新聞」記者をへて東京毎日新聞社社長。大正8年改造社を創立,「改造」を創刊。「現代日本文学全集」を刊行し,昭和初期の円本ブームをおこす。昭和5年衆議院議員(当選2回)。戦後は協同民主党初代委員長。昭和27年7月1日死去。67歳。鹿児島県出身。日大卒。号は亀城。著作に「世界文化人巡礼」など。

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世界大百科事典(旧版)内の山本実彦の言及

【円本】より

…当時東京市内を1円均一で走るタクシーを〈円タク〉といったが,これらの全集も定価1円のものが多かったところから,円本と俗称された。創始者は改造社社長山本実彦で,木村毅らに書目選定を依頼,《現代日本文学全集》として,1926年12月に第1回配本《尾崎紅葉集》を出版した。当初は全37巻別巻1冊の予定であったが,予約読者が23万人(のちに40万~50万人)にのぼったので,全62巻別巻1冊に拡大した。…

【改造】より

…大正デモクラシー運動の高揚期に改造社の山本実彦(さねひこ)によって1919年(大正8)4月創刊された総合雑誌。創刊当初は明確な編集方針をもたず発行部数3万部(定価35銭)のうち多くが返品されたが,4号から当時の社会改造思想を正面にすえた特集を組み,多くの読者をつかんだ。…

※「山本実彦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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