山本丘人(読み)ヤマモトキュウジン

デジタル大辞泉 「山本丘人」の意味・読み・例文・類語

やまもと‐きゅうじん〔‐キウジン〕【山本丘人】

[1900~1986]日本画家。東京の生まれ。本名正義松岡映丘師事。力強い風景画を得意としたが、晩年は詩的叙情性も示した。文化勲章受章

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百科事典マイペディア 「山本丘人」の意味・わかりやすい解説

山本丘人【やまもときゅうじん】

日本画家。東京生れ。本名正義。1924年東京美術学校卒業後,松岡映丘に学び,1936年文展出品した《海の微風》で認められた。のち日展審査員に推され,また1948年には創造美術(1951年新制作協会合流)を結成。力強い表現で風景を多く描いた。1977年文化勲章。
→関連項目加山又造

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山本丘人」の意味・わかりやすい解説

山本丘人
やまもときゅうじん
(1900―1986)

日本画家。東京に生まれる。本名正義。1924年(大正13)に東京美術学校を卒業。松岡映丘(えいきゅう)に師事し、28年(昭和3)第9回帝展で初入選。以後帝展、新文展に出品し、第二次世界大戦後は日展に出品、審査員を務めるが、48年(昭和23)上村松篁(うえむらしょうこう)、吉岡堅二(けんじ)らと創造美術を結成。51年新制作協会、74年からは創画会へと一貫した出品を続け、64年『入る日』で日本芸術院賞、77年には文化勲章を受けた。代表作に『夕焼山水(ゆうやけさんすい)』『狭霧野(さぎりの)』など。44年から51年まで東京芸術大学助教授を務めた。

[二階堂充]

『河北倫明他解説『山本丘人』(1977・文芸春秋)』『飯島勇解説『現代日本画全集7 山本丘人』(1981・集英社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山本丘人」の意味・わかりやすい解説

山本丘人
やまもときゅうじん

[生]1900.4.15. 東京
[没]1986.2.10. 神奈川
日本画家。本名正義。 1924年東京美術学校日本画科選科を卒業,松岡映丘に師事。 28年第9回帝展に初入選以来帝展,新文展に出品。また日本画研究団体として 34年瑠爽画社,43年国土会を結成。 48年創造美術の創立委員となり,同会の新制作派協会との合体後は,その日本画部の中心となって活躍したが,74年に脱会,独立して創画会を結成した。 64年日本芸術院賞受賞。 77年文化勲章を受章。主要作品『北濤』 (1955,東京国立近代美術館) ,『夕焼山水』 (61,平木浮世絵財団) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本丘人」の解説

山本丘人 やまもと-きゅうじん

1900-1986 昭和時代の日本画家。
明治33年4月15日生まれ。松岡映丘に師事し,瑠爽(るそう)画社,国土会,新制作協会などをへて創画会の結成に参加。昭和39年芸術院賞,52年文化勲章。昭和61年2月10日死去。85歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は正義。作品に「入る日」「狭霧野(さぎりの)」など。

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