山木派(読み)やまきは

改訂新版 世界大百科事典 「山木派」の意味・わかりやすい解説

山木派 (やまきは)

箏曲流派および芸系。山田流一派。山木姓の家元を中心とする派をいう。

 初世山木(?-1820(文政3))は,都名(いちな)を松州一といい,木村勾当(こうとう)を経て,1800年(寛政12),山田検校の師の寺家村脇一検校を師として検校となった。段物の演奏では,山田検校より上であったという逸話(《甲子夜話》)もある。門下に,2世山木のほか,吉田蓮台一検校,木村千代一検校(本来は吉田の弟子),玉川萩之一検校らがあり,木村の門から初世越野栄松の先師望田栄貴,玉川の門から,藤植流(ふじえりゆう)胡弓家でもある山室保嘉が出た。なお,木村の弟弟子青木勾当の門から,後に山勢派に転じた山多喜(山田喜・山滝)栄松一検校(後名松調)が出ている。

 2世山木(1800-54・寛政12-安政1)は本姓笠井,都名は太賀一。奥島勾当を経て,1819年(文政2),木村松州一のもとで検校となる。《寿くらべ》《子の日の遊(ねのひのあそび)》《夏の詠》などを作曲したほか,一中節の二,三の曲を山田流に移している。平曲の演奏も行っている。

 3世山木(1835か37-71か73・天保6か8-明治4か6)は,材木商斎田利右衛門の長男であったが,幼時失明,当道座に入った。都名は大賀一。山宮勾当を経て,1850年(嘉永3),2世山木のもとで検校となる。中能島派の中能島松声との合作に《松風》《松の寿》などがある。

 4世山木(1846-1921・弘化3-大正10)は,本名小林勝太郎。前名山林勾当。2世および3世に師事。襲名後,山木千賀と名のる。その作品は,《頼光》《葉山八景》《春の栄》《四季の遊》など非常に多く,町田杉勢との合作《三九年川(みくねがわ)》もあり,さらに富本節の《六玉川(むたまがわ)》《桜七本(さくらななもと)》なども移曲。没後,2世木村検校の娘であった妻の浪子(1846-1932)が,山木花子と名のって,家元を預かっていた。門下からは,初世藤井千代賀(1878-1965),初世越野栄松(1887-1965)などの名手が輩出。現在は,初世越野門下の中田博之(1912-2000),室岡松孝(1918- )や,2世藤井千代賀(1918-2005)などが山木派を代表している。ただし,1948年には,4世の孫の重明(1915-81・大正4-昭和56)が5世を襲名して,山木千賀を名のった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山木派」の意味・わかりやすい解説

山木派
やまきは

山田流箏曲の芸系の一派。山田検校門下の山木検校の名を継ぐ各代と,その門下中独立したものを含めて数家の家元がある。2世山木検校,1世山木千賀らが著名。

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