山岡鉄舟(読み)やまおかてっしゅう

精選版 日本国語大辞典 「山岡鉄舟」の意味・読み・例文・類語

やまおか‐てっしゅう【山岡鉄舟】

幕末・明治の政治家剣客。江戸の人。旗本の家に生まれ、通称鉄太郎。千葉周作に剣を学び、無刀流一派創始した。幕府倒壊に際し、江戸開城について西郷隆盛との交渉にあたり、勝・西郷会談への道を開いた。維新後は新政府に仕え、明治天皇の侍従となった。天保七~明治二一年(一八三六‐八八

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デジタル大辞泉 「山岡鉄舟」の意味・読み・例文・類語

やまおか‐てっしゅう〔やまをかテツシウ〕【山岡鉄舟】

[1836~1888]江戸末期から明治の剣術家・政治家。江戸の人。通称、鉄太郎。旧幕臣で無刀流剣術の流祖。戊辰ぼしん戦争の際、勝海舟の使者として西郷隆盛を説き、西郷・勝の会談を実現させて江戸城無血開城を導いた。明治維新後、明治天皇侍従などを歴任。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山岡鉄舟」の意味・わかりやすい解説

山岡鉄舟
やまおかてっしゅう
(1836―1888)

幕末・明治前期の剣客、政治家。名は高歩(たかゆき)、通称鉄太郎、鉄舟は号。天保(てんぽう)7年6月10日旗本小野朝右衛門の長男として生まれ、1855年(安政2)槍(やり)の師である山岡家を継いだ。また千葉周作に剣を学び、のち無刀流を案出し春風館を開き門弟を教えた。1856年講武所剣術世話役。1862年(文久2)幕府が募集した浪士隊の取締役となる。1868年(慶応4)3月戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際、勝海舟(かつかいしゅう)の使者として駿府(すんぷ)に行き、西郷隆盛(さいごうたかもり)と会見して、江戸開城についての勝・西郷会談の道を開いた。1869年(明治2)9月静岡藩権大参事(ごんだいさんじ)、1871年茨城県参事を経て、1872年6月侍従に就任。ついで宮内少丞(しょうじょう)・大丞と進み、1881年宮内少輔(しょうゆう)となった。子爵。書は一楽斎と号して有名である。勝海舟、高橋泥舟(たかはしでいしゅう)とともに幕末三舟と称せられる。明治21年7月19日没。墓は東京谷中の全生庵(ぜんしょうあん)にある。

[佐々木克]

『小島英熙著『山岡鉄舟』(2002・日本経済新聞出版社)』『大森曹玄著『山岡鉄舟』新版(2008・春秋社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「山岡鉄舟」の意味・わかりやすい解説

山岡鉄舟 (やまおかてっしゅう)
生没年:1836-88(天保7-明治21)

幕臣でその後明治天皇の侍従。一刀正伝無刀流剣術の開祖(無刀流)。旧姓小野,諱(いみな)は高歩(たかゆき),通称は鉄太郎,鉄舟は号。江戸本所大河端に生まれる。父は600石の旗本小野朝右衛門。10歳のとき飛驒の郡代となった父とともに飛驒高山に行き,17歳までそこで過ごした。その間,儒学,書,剣を学び成長した。若くして両親をなくした鉄舟は,苦労しながら幼弟5人を養育し,1855年(安政2)20歳で槍術の師山岡静山の家名を継ぐことになり,静山の妹英子(ふさこ)と結婚した。その後,講武所で剣術を学んだり,清川八郎らと浪士団を引率して上洛するなど,激動の時代のなかで活躍した。一方,禅の修行も積み,剣禅一致の境に達し,1880年剣の師浅利又七郎から一刀流の印可をうけ,一刀正伝無刀流をたてた。清純,誠実の人物で,明治維新のときには単身官軍の営所に乗り込み,西郷隆盛と会見して勝海舟との会談を周旋し,江戸を戦火から救った(江戸開城)。1869年(明治2)新政府に出仕し,静岡県権大参事,茨城県参事,伊万里県知事を歴任,また明治天皇に侍従として仕え,信任が厚かった。
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百科事典マイペディア 「山岡鉄舟」の意味・わかりやすい解説

山岡鉄舟【やまおかてっしゅう】

幕末の幕臣,剣客。通称鉄太郎。一刀正伝無刀流剣術の開祖。父は旗本小野朝右衛門。槍術の師山岡静山の家名を継ぐ。儒学,書,剣を学び,のち幕府講武所で剣術を指南。1863年清川八郎らと浪士組(新撰組の前身)を率いて上洛,1868年戊辰戦争の際には勝海舟に協力,駿府に西郷隆盛をたずね,江戸開城のための勝・西郷会談への道を開いた。維新後,明治天皇の侍従。勝,高橋泥舟とともに幕末の三舟と称される。

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朝日日本歴史人物事典 「山岡鉄舟」の解説

山岡鉄舟

没年:明治21.7.19(1888)
生年:天保7.6.10(1836.7.23)
幕末維新期の政治家。名は高歩,通称鉄太郎。旗本小野朝右衛門と磯の子として江戸に生まれた。剣を北辰一刀流千葉周作に,槍を刃心流山岡静山に学び,山岡家を継ぐ。高橋泥舟の義弟。安政3(1856)年講武所剣術世話心得,文久2(1862)年浪士組取締役を拝命。明治1(1868)年,精鋭隊頭となり徳川慶喜の警護に当たる。その直々の命により西郷隆盛を駿府に訪い,勝海舟との会談を周旋,徳川家救済と江戸開城に力を尽くした。彰義隊にも新政府への恭順を説いたが容れられなかった。維新後は静岡藩権大参事,伊万里県知事などを歴任。同5年侍従となり,同14年には宮内少輔に進む。53歳で病没,東京谷中に自ら創建した禅寺全生庵に眠る。剣客との名がある通り武骨ではあるが,将軍慶喜,明治天皇のいずれに対しても,意気に感じて誠実をもって応えた人である。勝,高橋と共に幕末三舟と称される。<著作>『鉄舟随筆』(安部正人編)<参考文献>牛山栄治『山岡鉄舟の一生』

(三井美恵子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山岡鉄舟」の解説

山岡鉄舟 やまおか-てっしゅう

1836-1888 幕末-明治時代の剣術家,官僚。
天保(てんぽう)7年6月10日生まれ。山岡静山の妹と結婚,静山の跡をつぐ。剣を千葉周作の門にまなび,幕府講武所でおしえる。戊辰(ぼしん)戦争では勝海舟の使者として西郷隆盛にあい,江戸開城のための勝-西郷会談の道をひらく。維新後は静岡藩権大参事,茨城県参事,明治天皇の侍従などを歴任。明治13年一刀正伝無刀流をたてる。海舟,高橋泥舟とともに幕末三舟と称された。明治21年7月19日死去。53歳。江戸出身。本姓は小野。名は高歩(たかゆき)。字(あざな)は曠野,猛虎。通称は鉄太郎。別号に一楽斎。
【格言など】臨機応変の妙用は,無念無想の底より来る(西郷隆盛との会見についての述懐)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山岡鉄舟」の意味・わかりやすい解説

山岡鉄舟
やまおかてっしゅう

[生]天保7(1836).6.10. 江戸
[没]1888.7.19. 東京
江戸時代末期の幕臣。通称は鉄太郎。刀槍に長じ,無刀流を編出して春風館道場を設立。講武所剣術世話役,浪士取締役をつとめた。慶応4 (1868) 年3月江戸開城に際しては,勝安房 (海舟) の使者として駿府の大総督府におもむき,東征軍参謀西郷隆盛と会見,徳川家存続に尽力した。明治2 (69) 年静岡県権大参事として旧幕臣の処遇斡旋に努め,次いで茨城県参事,伊万里県知事を歴任。のち明治天皇の侍従,宮内少輔。 1886年子爵,勲二等に叙せられた。禅機に達した人生観は剣の名声と相まって,剛毅武人型の模範として後世に名高い。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「山岡鉄舟」の解説

山岡鉄舟
やまおかてっしゅう

1836.6.10~88.7.19

幕末期の幕臣・剣術家,明治初期の侍従。諱は高歩(たかゆき)。飛騨郡代小野朝右衛門高福の子。山岡静山の婿養子。千葉周作に入門し,幕府講武所で剣術世話役となる。1863年(文久3)幕府の浪士募集に際し取締役。68年(明治元)精鋭隊歩兵頭格,大目付を兼ねる。東征軍の東下に対し,駿府で西郷隆盛らと会見,勝海舟と協力して江戸無血開城を実現させた。維新後静岡県ほかで参事・県令を勤めたのち,72年天皇側近となり,82年宮内少輔を辞任。無刀流の創始者。

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旺文社日本史事典 三訂版 「山岡鉄舟」の解説

山岡鉄舟
やまおかてっしゅう

1836〜88
幕末・明治初期の政治家
通称鉄太郎。幕臣。千葉周作門下の剣道の達人で無刀流を創始。戊辰 (ぼしん) 戦争で徳川慶喜 (よしのぶ) 東帰後,勝海舟と協力,静岡で西郷隆盛と会見し,江戸無血開城に奔走した。明治新政府では県知事などを歴任し,明治天皇の侍従となり,子爵を授けられた。

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世界大百科事典(旧版)内の山岡鉄舟の言及

【三遊亭円朝】より

…また,モーパッサンの《親殺し》を翻案した《名人長二》,同じくサルドゥーの《トスカ》を翻案した《錦の舞衣(まいぎぬ)》なども手がけた。中年以降は山岡鉄舟のもとで禅に傾倒し,その話芸は迫真軽妙の極に達して朝野の名士に愛され,落語家の社会的地位を向上させた。門下には円喬,円右,円左,小円朝,円馬,円遊などの名手がそろい,明治の落語黄金時代を成した。…

【無刀流】より

…正式には一刀正伝無刀流。開祖は明治維新に活躍した山岡鉄舟。鉄舟は一刀流を学ぶかたわら,禅や書に通じ,1880年悟るところがあり無刀流を立てた。…

※「山岡鉄舟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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