山家藩(読み)やまがはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山家藩」の意味・わかりやすい解説

山家藩
やまがはん

丹波(たんば)国何鹿(いかるが)郡山家京都府綾部(あやべ)市山家)周辺を領有した外様(とざま)藩。1601年(慶長6)の知行(ちぎょう)目録によって何鹿郡北中部に1万6000石を安堵(あんど)された谷衛友(もりとも)は、3子に所領を分与して分家させたが、27年(寛永4)に没し、翌年衛政(もりまさ)が1万石で後を継いだ。そののち衛広(もりひろ)、照憑(てるより)、衛衝(もりみち)、衛将(もりまさ)、衛秀(もりひで)、衛量(もりかず)、衛万(もりたか)、衛弥(もりみつ)、衛昉(もりやす)、衛弼(もりのり)と続き、13代衛滋(もりしげ)のとき廃藩置県となり、山家県を経て京都府に編入。1686年(貞享3)の全領検地によって7000石を計り出している。

井上正一

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山家藩」の意味・わかりやすい解説

山家藩
やまがはん

江戸時代丹波国山家地方 (京都府) を領有した藩。谷衛友が関ヶ原戦いののち1万 6000石で封じられ,寛永5 (1628) 年 6000石を分知して1万石となり廃藩置県にいたった。外様,江戸城柳間詰。

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デジタル大辞泉プラス 「山家藩」の解説

山家藩

丹波国、山家(やまが)地方(現:京都府綾部市)を領有した外様の小藩。関ヶ原の戦いの後、谷衛友(もりとも)が1万6000石で入封、以後明治維新まで谷氏藩主をつとめた。

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世界大百科事典(旧版)内の山家藩の言及

【谷衛友】より

…関ヶ原の戦では西軍に属して細川藤孝の丹後田辺城攻撃に加わったが,細川氏のとりなしで戦後徳川氏より所領を安堵された。大坂の陣に従軍するなど,山家藩の基を築いた。【加藤 益幹】。…

※「山家藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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