山口誓子
やまぐちせいし
(1901―1994)
俳人。明治34年11月3日、京都市に生まれた。本名新比古(ちかひこ)。旧制三高を経て東京帝国大学法学部卒業。京大三高俳句会で鈴鹿野風呂(すずかのぶろ)、日野草城(そうじょう)に指導を受け、『京鹿子(きょうかのこ)』『ホトトギス』に投句。東大俳句会では高浜虚子(きょし)の指導下に水原秋桜子(しゅうおうし)らと活躍する。樺太(からふと)(サハリン)での幼時を万葉の語調で追憶した作品を発表し「ホトトギスの4S」とよばれ、さらに都会的な素材を簡潔・明快に詠む硬質の句風を樹立。『ホトトギス』の諷詠(ふうえい)趣味を排し、新興俳句運動の先駆者となり、連作俳句を試みた。また『馬酔木(あしび)』に拠(よ)り、現実の再構成を主張した。1948年(昭和23)「根源」論をかかげ『天狼(てんろう)』を創刊、新興俳句系の西東三鬼(さいとうさんき)・秋元不死男(ふじお)・平畑静塔(ひらはたせいとう)、誓子門の橋本多佳子(たかこ)・榎本冬一郎(えのもとふゆいちろう)らを統合、戦後の俳句復興に寄与した。1970年紫綬(しじゅ)褒章、1987年芸術院賞を受ける。句集は『凍港(とうこう)』(1932)、『黄旗(こうき)』(1935)、『激浪(げきろう)』(1946)、『青女(せいじょ)』(1951)、『不動(ふどう)』(1977)など、評論集も多い。
[鷹羽狩行]
夏の河赤き鉄鎖(てっさ)のはし浸る
海に出て木枯(こがらし)帰るところなし
『『山口誓子全集』全10巻(1977・明治書院)』▽『『山口誓子――自選三百句』(1992・春陽堂書店)』▽『『季題別山口誓子全句集』(1998・本阿弥書店)』▽『栗田靖著『新訂俳句シリーズ 人と作品15 山口誓子』(1979・桜楓社)』▽『松井利彦編『山口誓子俳句十二か月』(1987・桜楓社)』▽『『日本の詩歌19』(中公文庫)』
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山口誓子
やまぐちせいし
[生]1901.11.3. 京都
[没]1994.3.26. 神戸
俳人。本名,新比古 (ちかひこ) 。第三高等学校を経て 1926年東京大学法科卒業。在学中の 22年に水原秋桜子らと東大俳句会を結成,28年には『ホトトギス』同人となり,秋桜子,高野素十,阿波野青畝と並称されて四S時代を形成した。その後『ホトトギス』の写生偏重を批判し,『馬酔木 (あしび) 』に拠った秋桜子と行をともにして新興俳句運動を推進,近代的素材の摂取,消化に努め多くの影響を後進に及ぼした。 48年,西東 (さいとう) 三鬼,秋元不死男,橋本多佳子らに擁されて『天狼』を創刊,物の根源にきびしく迫る態度を持した。句集『凍港』 (1932) ,『七曜』 (42) ,『激浪』 (44) ,『晩刻』 (47) ,『和服』 (55) などがある。
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山口誓子 やまぐち-せいし
1901-1994 大正-平成時代の俳人。
明治34年11月3日生まれ。山口波津女の夫。高浜虚子(きょし)に師事し,「ホトトギス」同人。水原秋桜子らとともに「4S時代」をきずき,のち秋桜子の「馬酔木(あしび)」に参加,俳句の近代化に貢献した。昭和23年「天狼」を創刊。62年芸術院賞。平成4年文化功労者。平成6年3月26日死去。92歳。京都出身。東京帝大卒。本名は新比古(ちかひこ)。句集に「凍港」「激浪」「青女」「不動」など。
【格言など】一輪の花となりたる揚花火(辞世)
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山口誓子【やまぐちせいし】
俳人。本名新比古(ちかひこ)。京都市生れ。東大法学部卒。《ホトトギス》同人となり,句集《凍港》を出した。のち水原秋桜子の《馬酔木》に参加,新興俳句運動に貢献した。1948年西東(さいとう)三鬼らの要請により《天狼》を創刊主宰。句集《炎昼》《晩刻》《和服》のほか,随筆集《俳句諸論》などがある。
→関連項目西東三鬼|高野素十
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やまぐち‐せいし【山口誓子】
俳人。京都市生まれ。本名新比古(ちかひこ)。高浜虚子に師事し、「ホトトギス」で活躍した後、新興俳句運動に向かい、水原秋桜子の「馬酔木(あしび)」に参加。昭和二三年(一九四八)「天狼」を創刊主宰。「凍港」「黄旗」「遠星」「青女」「不動」などの句集のほか、随筆・評論も多い。明治三四~平成六年(一九〇一‐九四)
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デジタル大辞泉
「山口誓子」の意味・読み・例文・類語
やまぐち‐せいし【山口誓子】
[1901~1994]俳人。京都の生まれ。本名、新比古。高浜虚子に師事し、「ホトトギス」で活躍。都市の人工物など新しい素材を新鮮な感覚で詠んだ。のち「馬酔木」に参加、新興俳句運動に貢献。「天狼」を主宰。句集「凍港」など。
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やまぐちせいし【山口誓子】
1901‐94(明治34‐平成6)
俳人。京都市生れ。本名新比古(ちかひこ)。1920年,日野草城らの京大三高俳句会に加入,ついで東大俳句会で水原秋桜子に兄事,高浜虚子に師事した。26年東大法学部卒。昭和初期《ホトトギス》雑詠欄で活躍,水原秋桜子,阿波野青畝,高野素十と共に4Sと並称された。秋桜子の抒情的な句風に対し,現代的素材の積極的摂取や知的即物的な写生構成の方法の導入により《凍港(とうこう)》(1932),《黄旗》(1935)を上梓。
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世界大百科事典内の山口誓子の言及
【新興俳句】より
…青年層を中心に展開され3期に区分できる。(1)前期は34年ころまでで,水原秋桜子と山口誓子を先導者として抒情の《馬酔木(あしび)》,社会性の《天の川》を中心に連作形式で推進された。秋桜子は甘美な抒情で風景俳句を樹立,31年《馬酔木》に〈自然の真と文芸上の真〉の一文を掲げ《ホトトギス》と決別,門下の高屋窓秋,石田波郷らと近代的抒情を鼓吹した。…
【天狼】より
…俳句雑誌。西東三鬼,橋本多佳子らが,山口誓子を囲む同人誌として1948年(昭和23)1月に創刊。誓子は創刊号で,〈酷烈なる俳句精神〉〈鬱然たる俳壇的権威〉を実現したいと述べたが,三鬼のニヒリズム,永田耕衣の東洋的無,平畑静塔の俳人格などは,俳句精神の根源を探求した成果であり,昭和20年代の俳壇に活気をもたらした。…
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