山口孤剣(読み)やまぐちこけん

改訂新版 世界大百科事典 「山口孤剣」の意味・わかりやすい解説

山口孤剣 (やまぐちこけん)
生没年:1883-1920(明治16-大正9)

明治期の社会主義者。本名義三。山口下関市に生まれた。東京政治学校に在学中,松原岩五郎の《最暗黒の東京》を読み,社会問題に関心を持ち平民社に参加。熱弁で木下尚江らとともに演説会を開催し,また1904年,週刊平民新聞》や社会主義書籍を赤い箱車に積んで小田頼造らと初めて伝道行商をし有名になる。《直言》《光》にかかわり,論説だけでなく詩や短歌を発表し,多彩な活動をした。06年日本社会党の結成評議員として参加。同年の東京市電値上反対事件,あいつぐ筆禍事件で入獄が続き,08年の赤旗事件は山口の出獄記念会が発端となった。大逆事件後は新聞記者となったが,堺利彦の《新社会》にも執筆している。
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百科事典マイペディア 「山口孤剣」の意味・わかりやすい解説

山口孤剣【やまぐちこけん】

明治期の社会主義者。本名義三(よしぞう)。山口県生れ。東京政治学校に在学中,社会問題に関心をもち平民社に参加。《平民新聞》や社会主義書籍を赤い箱車に積んで小田頼造らと伝道行商を行い有名となった。社会主義詩・短歌も創作し,熱弁でも知られた。平民社解散後,《》を発刊,1906年日本社会党の評議員となる。同年の東京市電値上げ反対事件や筆禍事件で入獄が続き,1908年の赤旗事件は山口の出獄歓迎会が発端となった。大逆事件後は新聞・雑誌記者となり,堺利彦の《新社会》にも寄稿している。

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朝日日本歴史人物事典 「山口孤剣」の解説

山口孤剣

没年:大正9.9.2(1920)
生年:明治16.4.19(1883)
明治時代の社会主義者。本名は義三。山口県下関の生まれ。東京政治学校卒。本人の回想によれば,明治33(1900)年の冬ごろ,松原岩五郎の『最暗黒の東京』を読んだことが社会主義者となる契機だった。平民社に参加して日露戦争(1904~05)に反対を唱えた。37年から38年にかけて週刊『平民新聞』や社会主義の書籍を赤い荷車に積んで東京から下関まで行商したことで有名。39年日本社会党が結成されると評議員となった。山口の出獄歓迎会が契機となった赤旗事件(1907)などで数回投獄される。詩人としての一面もあった。<著作>『社会主義と婦人』(明治社会主義資料叢書6巻)

(小宮一夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口孤剣」の解説

山口孤剣 やまぐち-こけん

1883-1920 明治-大正時代の社会主義者。
明治16年4月19日生まれ。平民社に参加。小田頼造と社会主義書籍の伝道行商をおこなう。「火鞭(かべん)」「光」を発刊し,筆禍事件などで入獄をかさねる。明治39年日本社会党の結成にあたり評議員となった。大正9年9月2日死去。38歳。山口県出身。東京政治学校卒。旧姓は福田。本名は義三。著作に「階級闘争史論」など。

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世界大百科事典(旧版)内の山口孤剣の言及

【赤旗事件】より

…(1)1908年6月22日東京神田の錦輝館での山口孤剣(義三)出獄歓迎会終了後に起こった社会主義者と警官隊との衝突事件。当時社会主義勢力は,大杉栄らの直接行動派(硬派)と片山潜らの議会政策派(軟派)の二派に大きく分かれていた。…

【火鞭】より

…1905年(明治38)9月~06年5月まで9号発行され,《ヒラメキ》に合併。火鞭会発起人の児玉花外,小野有香,山田滴海,山口孤剣,中里介山,原霞外,白柳秀湖のほか,内田魯庵,木下尚江,徳田秋声などが執筆している。文学作品としては,かならずしも質の高いものばかりとはいえないが,〈批評を以て創作の隷属となすを弾劾し〉として批評のもつ意味を高めた。…

※「山口孤剣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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