山中鹿之介(読み)やまなかしかのすけ

改訂新版 世界大百科事典 「山中鹿之介」の意味・わかりやすい解説

山中鹿之介 (やまなかしかのすけ)
生没年:?-1578(天正6)

戦国時代の武将。実名幸盛。出雲尼子氏家臣。1566年(永禄9)尼子義久が毛利氏に降伏して以後,京都東福寺にあった尼子勝久を擁立して立原久綱らとともに尼子氏再興に尽力した。69年豊後の大友義鎮(よししげ)と連携して隠岐に挙兵,一時出雲の大半を回復した。毛利氏の将吉川(きつかわ)元春の反撃により,71年(元亀2)伯耆末石城を陥されて捕らえられたが京都に脱出した。その後,織田信長の援助をうけ,73年(天正1)因幡に侵入,鳥取城を陥すなど再び吉川勢と戦ったが,76年因幡若桜鬼城を陥されて京都に逃れた。翌年より羽柴豊臣秀吉の中国経略に加わり,播磨上月城の守備を任された。78年秀吉の兵力が毛利氏に通じた別所長治の三木城攻撃に向けられている間に,上月城は毛利氏の大軍に囲まれ,籠城戦の末に勝久自害を条件として降伏した。そして毛利輝元のもとへ護送される途中,帰順に疑いありとして備中阿部の渡で殺され,以後尼子残党の動きは封ぜられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山中鹿之介」の意味・わかりやすい解説

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