出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
香川県高松市北東部,高松港の東に海へ突き出す半島で,典型的なメーサ型開析溶岩台地。東西約2km,南北約5km。基盤の花コウ岩の上に凝灰岩をはさんで讃岐岩質安山岩が厚くのっている。頂上部は標高250~292mの平たん面が広がり,中部がくびれて,北嶺と南嶺に分かれる。谷部西側には7世紀中ごろに築かれた屋島城のものとされる遺跡が残る。東側の入江が壇ノ浦であるが,702年大宝律令により讃岐3軍団の一つとして屋島軍団が置かれ,〈軍団の浦〉から壇ノ浦の名がきたといわれる。1185年(文治1)源平の間で屋島の戦が展開され,壇ノ浦一帯にはその史跡が多い。ケーブルカー(2005年廃止),ドライブウェーの通じる南嶺には四国八十八ヵ所84番札所屋島寺があり,談古嶺(だんこれい)からは壇ノ浦古戦場が,獅子ノ霊巌からは高松市街が一望できる。北嶺の遊鶴亭(展望台)からの眺望もすばらしい。
執筆者:坂口 良昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
香川県高松市北東部、備讃(びさん)瀬戸に突き出た台地状の半島。瀬戸内海国立公園に含まれる景勝地で、国の史跡・天然記念物に指定されている。源平の戦いのころは相引(あいびき)川によって本土と隔てられた島であった。基盤をなす花崗(かこう)岩の上に新生代第三紀後期の火山活動による凝灰角礫(かくれき)岩や讃岐(さぬき)岩質安山岩がほぼ水平に重なり、これが侵食されてメサとよばれる溶岩台地状の地形となっている。北嶺(ほくれい)(282メートル)と南嶺(292メートル)に分かれ、南嶺中央部には湖成層といわれる礫層があり、この山頂の平坦(へいたん)面が侵食を受け形成されたことを物語っている。南嶺には四国八十八か所の第84番札所屋島寺をはじめ、新屋島水族館、旅館、土産(みやげ)物屋などがある。また談古嶺(だんこれい)、獅子(しし)ノ霊巌(れいがん)、遊鶴(ゆうかく)亭などの展望地からは、高松平野のほか、五剣(ごけん)山、備讃瀬戸などの眺望がよい。山頂にはドライブウェーが通じ、南麓(なんろく)には四国民家博物館(四国村)、屋島神社などがある。山麓に広がるペディメントといわれる緩斜面では近年住宅地化が進んでいる。
[新見 治]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...
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