尾尻村(読み)おじりむら

日本歴史地名大系 「尾尻村」の解説

尾尻村
おじりむら

[現在地名]秦野市尾尻・今川いまがわ町・大秦たいしん町・むろ

北を水無みずなし(村内では天谷川)が流れ、対岸曾屋そや村、東は大竹おおだけ村、南は足柄上あしがらかみ井口いのくち(現中井町)、西は今泉いまいずみ村に接する。小田原衆所領役帳には垪和彦十郎「五拾貫文 中郡尾尻」とある。天正一八年(一五九〇)四月日の豊臣秀吉禁制(県史三)に「尾尻之郷」とある。

近世は初め幕府直轄領、寛永年間(一六二四―四四)に旗本小栗領と下総生実藩領の二給。

尾尻村
おじりむら

[現在地名]岡崎市竜泉寺りゆうせんじ

おと川支流の竜泉寺川沿いに耕地が開け、集落は左岸台地に立地。東は藤川ふじかわ宿、西は平地本宗ひらちほんしゆう寺領・馬頭ばとう村、南は竜泉寺村、北は蓑川みのかわ村・生田しようだ村と接する。中世、乙見おとみ庄に属すという。日蓮宗海雲山長福ちようふく寺の発展とともに当村が開かれる。長福寺の開山は寺伝では文保二年(一三一八)日印と伝える。寛正六年(一四六五)額田ぬかた郡牢人一揆に関する「親元日記」中の額田郡牢人交名之注文折紙に、「丸山中務丞子、同名彦次郎、同弟出家両人、大庭次郎左衛門尉、同弟長満寺、尾尻、同子七郎太郎、高力、黒柳片山、簗田左京亮、芦谷兄弟、以上」とあって、「尾尻」の名がみえる。一揆は松平和泉入道らによって鎮圧されている。

尾尻村
おじりむら

[現在地名]大牟田市たちばな

田隈たくま村の北、白銀しらがね川中流域にある。西は甘木あまぎ村。貞和三年(一三四七)一〇月八日の相良聖円譲状写(山北相良文書/南北朝遺文(九州編)二)に「三池庄北郷内尾尻・山本村」とみえ、田地二町三丈と屋敷一所、安行名三分一地頭職が聖円(相良頼貞)から孫鶴寿丸に譲られている。戦国末期の蒲池鎮並本地そのほかを書上げた村付(田尻家譜/大和町史資料編)には「豊饒領三池十五町尾尻本村」とある。豊饒氏は大友氏の家臣であるが、天正九年(一五八一)下蒲池家滅亡のとき蒲池残党のなかに豊饒鎮連がいたといわれ(北肥戦誌)、下蒲池氏に従っていたらしい。天正七、八年頃田尻鑑種が龍造寺氏に安堵を申請した村付六〇三町のなかに「於尻本村」一五町がある(「田尻鑑種知行坪付」田尻家文書/佐賀県史料集成七)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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