尾和宗臨(読み)おわ・そうりん

朝日日本歴史人物事典 「尾和宗臨」の解説

尾和宗臨

没年文亀1(1501)
生年:生年不詳
室町後期の堺の豪商。海外貿易巨利を得るかたわら,大徳寺の一休宗純に参禅する。一休のために寺を建てることを希望し一休からは固辞されるが,数度にわたる要望に一休は,応仁の乱の兵火に焼亡したままの大徳寺の再建を勧める。宗臨は有志の協力も得て,文明年中(1469~87)に本寺の仏殿,方丈,大厨をはじめ,その塔頭の大用庵,如意庵徳禅寺などを再建した。方丈の再建では,西域諸国の貿易に従事した持ち船の帆柱を厨庫の棟梁にあて,船板は腰板に使用したと伝えられる。宗臨は重ねて一休の寺を建てることを願ったため,一休もその死後に建立することを許した。文明13年の一休没後,大徳寺内に真珠庵を創建し延徳3(1491)年に竣功した。大徳寺再興の功労者として,没後真珠庵に葬られる。遺言によって,所有の資産を寄贈して修復の用に当て,子孫もそれに倣ったという。<参考文献>『堺市史

(吉田豊)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾和宗臨」の解説

尾和宗臨 おわ-そうりん

?-1502* 室町-戦国時代貿易商
堺の豪商で,明(みん)(中国)との貿易で富をえる。一休宗純に参禅し,大徳寺真珠庵を創建。応仁(おうにん)の乱で焼失した大徳寺の法堂などを再建した。文亀(ぶんき)元年12月20日死去。通称は四郎左衛門。号は祖渓。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の尾和宗臨の言及

【真珠庵】より

…その寂後10年目の1491年(延徳3)に完成。造立経費は大徳寺再建を援助した堺の貿易商尾和宗臨(おわそうりん)(?‐1501)はじめ,数寄者村田珠光,連歌師宗長などの寄進。現在の建物は江戸初期の再建である。…

※「尾和宗臨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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