尼子詮久(読み)あまこ あきひさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尼子詮久」の解説

尼子詮久 あまこ-あきひさ

尼子晴久(あまこ-はるひさ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の尼子詮久の言及

【安芸国】より

…33年(天文2)には熊谷氏が毛利方につき,また白井・香川・己斐の諸氏まで武田を離れ,内部から崩壊し始めた。40年尼子詮久は大軍を率い吉田郡山城を攻め,武田光和の後嗣信実は金山城に拠り,翌年1月友田興藤も桜尾城で大内氏にそむいたが,大内氏は部将陶(すえ)隆房を派遣し,毛利氏と協力して同1月郡山城攻囲の尼子軍を敗走させ,4月大内義隆みずから桜尾城に興藤を滅ぼし,ついで金山城を陥れて武田氏を滅ぼし,東西条の槌山城,金山城,桜尾城等に城督を置いた。翌年義隆の出雲遠征失敗後も両陣営の対立は続くが,尼子の勢力は衰え,その間に毛利氏が勢力を拡大した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」