尺代村(読み)しやくだいむら

日本歴史地名大系 「尺代村」の解説

尺代村
しやくだいむら

[現在地名]島本町尺代・若山台わかやまだい二丁目

広瀬ひろせ村の北西にある山間村。水無瀬みなせ川が曲流しつつ南東流し、集落はその狭い谷間にある。慶長一〇年(一六〇五)の摂津国絵図に「尺谷村」とあり石高八八石余。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳では高七〇石余、以後も漸減。石高の減少に対して新開の努力がなされたようで、天保一二年(一八四一)には六筆分三斗三升六合の年貢がかけられている(中川家文書)。なお寛永元年当時の年貢率は五割五分であった(同文書)。元和初年の摂津一国高御改帳では高槻藩内藤信正領となっているが、その後京都所司代板倉重宗領。慶安二年(一六四九)から高槻藩永井領となり幕末に至る。山間地であるため柴・薪稼が盛んで、山林の境界をめぐる争いが度々起こっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android