少数民族問題(読み)しょうすうみんぞくもんだい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「少数民族問題」の意味・わかりやすい解説

少数民族問題
しょうすうみんぞくもんだい

少数民族national minoritiesとは、一つの国民(一つの国家に編成された諸民族)のなかで、優勢な立場にある民族に比べて人口などが相対的に少ない民族をいう。少数民族(単数または複数)が、人種、言語、宗教、風俗、習慣などの相違を理由として差別的に不平等な待遇を受けている場合を、少数民族問題という。

 少数民族は、なにか特別な人間として扱われ、社会的に不利な地位にある。政治的な諸権利のうえで差別的な取り扱いを受け、あるいは宗教、民族語、風俗習慣などを禁止されたり制限されたりする。少数民族に属する個人は、優勢な民族のつくる社会にあって侮蔑(ぶべつ)・憎悪の対象となり、ときには暴力に訴えられる。結婚、就職、教育などにおいて不利な扱いを受け、往々にして居住地の隔離や公共機関(たとえば、交通機関や公園、劇場など)の利用の制限が課せられる。このようなことは、法律によって規定される場合もあり、また社会的慣習として行われる場合もある。

 もともと異民族や異教徒に対する迫害や差別待遇などは歴史上古い時代からあったが、少数民族問題は民族主義の興隆とともに発生したのであり、きわめて新しい現象である。すなわち、優勢な民族は、少数民族を吸収・同化して、自民族を主とする国民的統一を図り、一方、少数民族の側は独自の民族的性格を守るために結集しようとし、ここに少数民族問題が生まれる。また、ある時代において支配的な地位にあった民族が、ほかの時代においては少数民族の地位に陥ったり、また、ある時代において少数民族の地位にあったものが次の時代には支配的な地位につくことは珍しくなく、少数民族の地位は絶えず変動している。したがって、どれが少数民族であるか、またどこが少数民族問題として国際的に問題となるかは、歴史的事情にしたがってさまざまである。

 少数民族の権利を擁護すべき国際的法規が存在しなかった第一次世界大戦までは、少数民族は、自民族に好意的な大国に保護を求め、大国は対立する他国の少数民族問題を自国の勢力伸張の道具として利用しようとする(たとえば、19世紀の帝政ロシアの汎(はん)スラブ主義)ことがしばしばであった。

 少数民族問題が重要な国際問題として登場したのは、国境問題の解決の原則として民族自決権が叫ばれた第一次大戦直後のことである。ベルサイユ体制によって東ヨーロッパにいくつかの小国が成立したが、同時にこれら小国は国内に少数民族を抱えることになった。同じ民族がある地域では優勢であり、ある地域では少数民族になるといった国境の設定によって少数民族問題が生じたのである。連合国はポーランドチェコスロバキアルーマニアなど新たな独立国と条約を結び、「種族、宗教または言語上少数に属する」民族が公権および私権上同一の待遇を保障されることを約した。しかし、少数民族の地位は、多くの場合低下した。ドイツ人少数民族(ズデーテンダンツィヒ)の問題はナチス・ドイツによって侵略政策の口実として利用されるに至った。これには、少数民族を保護すべき国際連盟の無力が一つの原因をなしている。

 ソビエト連邦は、「民族の牢獄(ろうごく)」とよばれた帝政ロシアの領域をほぼ継承しており、その領土内に約130に及ぶ大小の民族を擁していた。大ロシア人、ウクライナ人などスラブ系の多数民族と多くの非スラブ系諸民族が存在していた。1990年ソビエト連邦は解体して、諸民族共和国が独立したが、ロシアは依然少数民族を抱えている。なお、分離的傾向の強い東ヨーロッパに比べて、西ヨーロッパはEU(ヨーロッパ連合)という統合が進みつつあるが、イギリス、フランス、スペインなどでは少数民族の間に自立傾向が高まっている。また多民族国家である中国も、民族自治区、民族自治州を設け、少数民族の独自性を保護している。

 これに対して、アメリカ合衆国では、事情がより複雑である。先住民(インディアン)、黒人、アジア系、ヒスパニック(ラテンアメリカ系)など諸民族が混在するアメリカの少数民族問題はエスニック問題とよばれる。数々の法的措置、とくに1950~1960年代の公民権の立法などによって公的にはエスニック問題は解決したかのようであるが、アメリカに優勢なWASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)の個人的偏見によって、さまざまな差別が残されている。

 南アフリカ共和国のアパルトヘイトは現代における最大の民族差別問題であったが、ここでは白人がかえって少数派であり、少数民族問題としてではなく、植民地型の偏見と抑圧としてみるべきである。なお、この差別問題はネルソン・マンデラの努力などによって解決されつつある。

[斉藤 孝]

『今野敏彦著『世界のマイノリティ』(1968・評論社)』『鈴木二郎著『現代の差別と偏見』(1969・新泉社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「少数民族問題」の意味・わかりやすい解説

少数民族問題
しょうすうみんぞくもんだい
problem of national minorities

多民族国家などにおいて,少数民族が支配的多数民族による抑圧または同化政策から,自民族の社会的文化的特性と地位を守ろうとする共通意思をもって,多数民族との平等,自治,母国との統合,あるいは分離,独立などの政治的要求をもつ場合に起る問題をいう。それが母国や第三国の侵略的,膨張主義的な政策と結びついた場合には,国際的な紛争に発展する傾向がある。近代ナショナリズムの発展過程で,少数民族の犠牲による国民的統一が強行され,また戦争後の国境決定にあたり民族主義の原則が無視されたことなどのため,多くの少数民族問題が生じた。 1919年のパリ講和会議において,連合国は民族自決の原則に基づき,国際連盟理事会の保障のもとに,中東ヨーロッパ諸国と一連の少数民族保護条約を結んだ。しかし国際連盟の無力などのため,実際にはほとんど効果をあげられなかった。第2次世界大戦後,国連は人権擁護という形で少数民族の権利を保障し (国連憲章,世界人権宣言,ジェノサイド条約など) ,経済社会理事会に「差別撤廃と少数者の保護に関する分科委員会」を設けた。多くの少数民族をかかえるソ連,中国などでは,その独自性を尊重しつつ,自治の拡大に努めてきたが,根本的には解決されていない。特に,冷戦体制が崩壊したのを契機に各国・各地域において少数民族の自立運動が噴出,ユーゴスラビアの解体やアゼルバイジャンにおけるナゴルノカラバフ紛争に象徴される民族的憎悪に駆られた悲惨な衝突も起っている。少数民族問題は民族的偏見に結びつきやすく,多くの国々はその処理に苦慮している。

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世界大百科事典(旧版)内の少数民族問題の言及

【少数民族】より

…したがって,少数民族紛争は民族のアイデンティティを求める紛争であるとともに,他の政治的・社会的争点をあわせもつことが多いのである。 東南アジアの少数民族問題は,モンゴロイド人種という同一人種内部のエスニック集団間の様相を示すと同時に,少数民族が部族的なまとまりをもつ点に特徴がある。中華人民共和国は,総人口の約94%を漢民族が占め,その他50余種の少数民族からなる。…

【民族】より

…ギリシア語のエトノスethnos(ドイツ語やロシア語では,ふつうこの語形を用いる),それから派生した英語のethnic groupあるいはethnic unitに対応する学術用語であるが,日常用語としても用いられる。多くの民族学者(文化人類学者)の考えでは,民族とは次のような性格をそなえた集団である。第1に,伝統的な生活様式を共有する集団である。つまり語族や語群が言語の系統分類にもとづき,人種が身体形質を基準とした分類であるのに対して,民族は文化にもとづいて他と区別される集団なのである。…

※「少数民族問題」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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