小野十三郎(読み)オノトオザブロウ

デジタル大辞泉 「小野十三郎」の意味・読み・例文・類語

おの‐とおざぶろう〔をのとをザブラウ〕【小野十三郎】

[1903~1996]詩人。大阪の生まれ。帝塚山学院短大教授。本名、藤三郎。詩誌「赤と黒同人反俗反権力アナーキズム詩人として出発、短歌的叙情否定提唱戦後勤労者のための大阪文学学校校長を務める。「拒絶の木」で読売文学賞詩集に「大阪」「重油富士」など。

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百科事典マイペディア 「小野十三郎」の意味・わかりやすい解説

小野十三郎【おのとうざぶろう】

詩人。大阪市生れ。本名,藤三郎。東洋大学中退。帝塚山学院短期大学教授。アナーキズム系詩人として活躍。1921年上京して,萩原恭次郎壺井繁治,岡本潤らを知り,《赤と黒》の同人となる。1933年大阪へ帰り,自らの詩の方向を定め,1939年,大阪の重工業地帯に取材した詩集《大阪》を発表。独自の詩風確立した。また戦時下に発表した詩と詩論をまとめて1947年《詩論》を刊行,その短歌的抒情の否定は,その後の現代詩の方向を決定する議論のひとつとなった。1954年に大阪文学学校を創立,1991年まで校長を務め,後進の指導にも尽力した。《半分開いた窓》《風景詩抄》《重油富士》などの詩集,《奇妙な本棚》その他の評論集がある。
→関連項目秋山清

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小野十三郎」の意味・わかりやすい解説

小野十三郎
おのとおざぶろう
(1903―1996)

詩人。本名藤三郎(とうざぶろう)。大阪市に生まれる。東洋大学中退。1923年(大正12)、アナキスト詩人の拠点となった詩誌『赤と黒』に参加し、萩原恭次郎(はぎわらきょうじろう)、壺井繁治(つぼいしげじ)らを知る。処女詩集『半分開いた窓』(1926)の序文に「あらゆる人間性の中庸に対する意識的反発、幸福、あらゆるブルジヨア的幸福感の顛覆(てんぷく)」と記す。33年(昭和8)帰阪、以後関西の詩運動に不断のエネルギーを注入し、多くの新進詩人たちを育てた。近代化によって重工業原と化してゆく大阪つまり日本を、即物的な叙述法によって示し、独自の叙事詩的骨格をもつ詩を書き続ける。短歌的叙情の否定を提唱した詩歌論は大きな反響をよんだ。

[原崎 孝]

『『定本 小野十三郎全詩集』(1979・立風書房)』『安水稔和著『小野十三郎』(社会思想社・現代教養文庫)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野十三郎」の解説

小野十三郎 おの-とおざぶろう

1903-1996 大正-平成時代の詩人。
明治36年7月27日生まれ。詩誌「赤と黒」に参加し,萩原恭次郎,壺井繁治らを知る。大正15年「半分開いた窓」を刊行,昭和5年詩誌「弾道」を創刊。8年郷里の大阪にかえり,戦後,「詩論」で短歌的叙情の否定を提唱。50年「拒絶の木」で読売文学賞。帝塚山学院短大教授,大阪文学学校校長をつとめた。平成8年10月8日死去。93歳。東洋大中退。本名は藤三郎。
【格言など】「批評」の要素に於て妥協した抒情に真実の歌がこもる筈がない(「詩論」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小野十三郎」の意味・わかりやすい解説

小野十三郎
おのとおざぶろう

[生]1903.7.27. 大阪
[没]1996.10.8. 大阪
詩人。本名,藤三郎。伝統的抒情を否定し,批評性,即物性に富むリアルな詩風を確立。 1954年帝塚山学院短期大学教授。同年町の学校「大阪文学学校」を開き,校長をつとめる。日本現代詩人会会長をつとめた。詩集『大阪』 (1939) ,『風景詩抄』 (43) ,評論集『詩論』 (47) 。『定本小野十三郎全詩集 1926-1974』 (79) がある。

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