小磯良平(読み)こいそりょうへい

精選版 日本国語大辞典 「小磯良平」の意味・読み・例文・類語

こいそ‐りょうへい【小磯良平】

洋画家兵庫県出身。本名岸上良平。東京美術学校藤島武二に学ぶ。卒業後フランス留学。帰国して新制作派協会結成参加。近代的な感覚で優美な女性像を描いたことで知られる。昭和五八年(一九八三)文化勲章受賞。明治三六~昭和六三年(一九〇三‐八八

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「小磯良平」の意味・読み・例文・類語

こいそ‐りょうへい〔‐リヤウヘイ〕【小磯良平】

[1903~1988]洋画家。兵庫の生まれ。藤島武二師事。フランスへ留学後、新制作派協会(後の新制作協会)の結成に参加。卓抜した描写と近代的感覚で、女性像に独自の画境を展開した。文化勲章受章。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「小磯良平」の意味・わかりやすい解説

小磯良平【こいそりょうへい】

画家。神戸市生れ。東京美術学校卒。在学中の1925年帝展入選。1927年―1930年滞仏。1936年猪熊弦一郎らと新制作派協会(のち新制作協会)結成。1938年従軍画家として中国へ渡り,戦争画を手がける。1974年赤坂迎賓館壁画絵画》《音楽》を制作。確かな描写力に裏づけられた平明な写実によって,評価された。代表作《娘子関を征く》《斉唱》。1983年文化勲章。
→関連項目兵庫県立近代美術館

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小磯良平」の意味・わかりやすい解説

小磯良平
こいそりょうへい

[生]1903.7.25. 神戸
[没]1988.12.16. 神戸
洋画家。 1927年東京美術学校西洋画科卒業。在学中 25年帝展初入選,26年特選。 28~30年渡欧し,アングル,ベラスケスらの技法を学び,サロン・ドートンヌにも出品。 30~36年光風会会員,36年同志と新制作派協会を結成。第2次世界大戦中は従軍画家として戦争画を描き,40年朝日文化賞,41年第1回帝国芸術院賞を受賞。戦後は 53~71年東京芸術大学教授。 58年『家族』で現代日本美術展の大衆賞受賞。 73~74年,迎賓館 (旧赤坂離宮) の壁画を制作。 79年文化功労者,82年芸術院会員,83年文化勲章受章。女性肖像,群像にすぐれ,独特なリアリズムの画風を完成した。主要作品『踊り子』 (1938) ,『斉唱』 (41) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小磯良平」の意味・わかりやすい解説

小磯良平
こいそりょうへい
(1903―1988)

洋画家。神戸市生まれ。1922年(大正11)東京美術学校に入学して藤島武二(たけじ)に学び、在学中に帝展特選となる。27年(昭和2)卒業し、翌年渡仏して30年帰国する。36年猪熊(いのくま)弦一郎らと新制作派協会を結成。40年朝日文化賞を受け、翌年新文展の審査員を務め、第1回帝国芸術院賞を受ける。53~71年(昭和28~46)東京芸術大学教授として後進の指導にあたる。58年第3回現代日本美術展で大衆賞を受ける。74年赤坂の迎賓館2階大ホールの壁画を完成。静朗な女性像の画家として知られ、79年に文化功労者、83年に文化勲章受章。

[小倉忠夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小磯良平」の解説

小磯良平 こいそ-りょうへい

1903-1988 昭和時代の洋画家。
明治36年7月25日生まれ。東京美術学校(現東京芸大)在学中の大正15年「T嬢の像」で帝展特選。昭和11年猪熊(いのくま)弦一郎らと新制作派協会を結成する。17年「娘子関を征く」で芸術院賞。28年東京芸大教授。57年芸術院会員。58年文化勲章。昭和63年12月16日死去。85歳。兵庫県出身。旧姓は岸上。作品はほかに「家族」「絵画」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android