小瀬沢村(読み)おせざわむら

日本歴史地名大系 「小瀬沢村」の解説

小瀬沢村
おせざわむら

[現在地名]緒川村小瀬沢

四方を山に囲まれ、小瀬沢川が東南へと流れる。東北は上小瀬かみおせ村。寛永一五年(一六三八)の武茂長倉塩子筋御代官高帳(「田制考証」所収)に「小瀬沢村」とみえる。「水府志料」に「産物、高状、白半紙あり」と記され、和紙が生産された。「八里村郷土誌」には年とともに農村が疲弊し、人口が減少、耕地が荒廃したことが記される。明暦三年(一六五七)の人口三一四・戸数七三であったが、享保一六年(一七三一)には田畠五、六反歩の百姓のうち田畠を捨てて潰れた百姓が三三戸、前々からの困窮百姓が二三戸あることが、村役人から藩に報告され、その救済願が出されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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