小沢征爾(読み)オザワセイジ

デジタル大辞泉 「小沢征爾」の意味・読み・例文・類語

おざわ‐せいじ〔をざは‐〕【小沢征爾】

[1935~2024]指揮者満州の生まれ。斎藤秀雄から指揮を学ぶ。短大卒業後に単身渡仏し、昭和34年(1959)のブザンソン国際青年指揮者コンクール優勝。その後、ミュンシュカラヤンに師事した。また、バーンスタインに認められ、ニューヨークフィルハーモニー交響楽団の副指揮者に就任。のち、ボストン交響楽団ウィーン国立歌劇場音楽監督などを歴任した。平成13年(2001)文化功労者。平成20年(2008)文化勲章受章

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小沢征爾」の意味・わかりやすい解説

小沢征爾
おざわせいじ
(1935―2024)

指揮者。第二次世界大戦後の日本を代表する国際的演奏家の一人。中国の奉天(現、瀋陽(しんよう/シェンヤン))生まれ。桐朋(とうほう)学園で斎藤秀雄に指揮を学び、卒業の翌年の1959年(昭和34)渡欧、ブザンソン指揮者コンクールに優勝。翌年夏のアメリカのバークシャー音楽センターの指揮者コンクール第1位、続いてカラヤン主宰のコンクールでも優勝。1961年バーンスタインに認められてニューヨーク・フィルハーモニーの副指揮者に就任。以後、カナダトロント交響楽団サンフランシスコ交響楽団などの音楽監督を歴任したほか、世界各地の音楽祭にも出演。1973年から2002年までボストン交響楽団の音楽監督を務め、1979年に同楽団と初の中国演奏旅行を成功させた。2002年から2010年までは世界三大歌劇場の一つであるウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。

 日本では1972年以降、新日本フィルハーモニーの首席指揮者を務める。1972年芸術院賞受賞。恩師斎藤秀雄を偲(しの)んでサイトウ・キネン・オーケストラを1984年に組織し、1992年(平成4)以降、同オーケストラを中心として毎年夏に長野県松本市で開催される音楽祭「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」(2014年までは「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」)では、総監督を務めた。1990年水戸室内管弦楽団の音楽顧問に就任。2001年(平成13)文化功労者、2008年文化勲章を受章。

[美山良夫]

『サイトウ・キネン・フェスティバル松本実行委員会編『サイトウ・キネンのこころ』(2001・信濃毎日新聞社)』『渡辺裕・小澤幹雄他著『小澤征爾大研究』新装版(2002・春秋社)』『小澤征爾著『ボクの音楽武者修業』(新潮文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「小沢征爾」の意味・わかりやすい解説

小沢征爾 (おざわせいじ)
生没年:1935(昭和10)-

指揮者。奉天(現,中国・瀋陽)生れ。桐朋学園大学音楽科卒業。1959年ブザンソンの国際青年指揮者コンクールで第1位,翌年アメリカでクーセビツキー賞を獲得。61年ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の副指揮者に就任,以後トロント交響楽団音楽監督,サンフランシスコ交響楽団指揮者兼音楽監督を経て,73年からボストン交響楽団音楽監督の地位につく。日本国内では新日本フィルハーモニー交響楽団首席指揮者。指揮の特色豊潤な色彩感と流麗さにある。日本の現代作品を広く国際的な場に紹介した功績は大きい。
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