新撰 芸能人物事典 明治~平成 「小沢 栄太郎」の解説
小沢 栄太郎
オザワ エイタロウ
- 職業
- 俳優,演出家
- 別名
- 芸名=小沢 栄
- 生年月日
- 明治42年 3月27日
- 出生地
- 東京市 芝区田村町(東京都 港区)
- 学歴
- 芝中〔大正14年〕4年修了
- 経歴
- 生家は東京・芝の洋家具店で、7歳の時に生母が姉を連れて男と駆け落ちして去り、継母に育てられた。大正14年芝中学在学中に肋膜に罹り、4年修了後は自宅で療養生活を送る。昭和2年初めて築地小劇場の舞台を観て、俳優を志し、4年心座の研究生となる。同年左翼劇場「全線」への応援出演で初舞台。5年左翼劇場に入って小沢栄の芸名で頭角を現すが、7年治安維持法違反で検挙され、1年半の獄中生活を送った。9年新協劇団の結成に参加。同年「さくら音頭」で映画初出演。久板栄二郎作「北東の風」「千万人と雖も我行かん」、15年真船豊作「遁走譜」などで評価される。同年新協劇団が強制解散させられ、芸名も本名に改名させられ、以後は本名の小沢栄太郎で活動。19年俳優座創立に参加したが、同年応召。20年11月復員。復帰後は舞台「検察官」「愛と死との戯れ」「中橋公館」などに出演して精力的に活動を再開、同年には映画「大曽根家の朝」で第1回毎日映画コンクール演技賞を受賞。24年芸名を小沢栄に戻したが、32年には再び本名に戻した。新劇出身の映画俳優の草分けでもあり、俳優座では劇団運営でも指導的な立場を担い、1950年代には自前の劇場建設のため数多くの映画に出演。34年「十二夜」からは舞台演出も始め、「セチュアンの善人」「東海道四谷怪談」などの演出を手がけた。44年俳優座を退団。他の出演作に、舞台「壊れ甕」「火山灰地」、映画「暁の脱走」「醜聞」「雨月物語」「近松物語」「第五福竜丸」「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」「犬神家の一族」「連合艦隊」、ドラマ「新・平家物語」「元禄太平記」「砂の器」「赤い激流」などがある。妻子がありながら女優の堀阿佐子、山岡久乃と浮き名を流し、24年堀、29年妻が自殺。49年には37歳年下の女性と再婚して話題となった。著書に「パリの銭湯」「演出記録」「先祖はモリエール」などがある。
- 受賞
- 勲四等旭日小綬章〔昭和63年〕 週刊読売新劇賞演出賞〔昭和34年〕,紀伊国屋演劇賞(第19回)〔昭和59年〕「遁走譜」 毎日映画コンクール演技賞(第1回)〔昭和21年〕「大曽根家の朝」
- 没年月日
- 昭和63年 4月23日 (1988年)
- 家族
- 長男=小沢 僥謳(劇作家・演出家)
- 伝記
- 最期の台詞―演劇人に学ぶ死の作法俳優 小沢栄太郎―火宅の人終幕の思想―演劇人の死小沢栄太郎4人でしゃべった 北川 登園 著小沢 僥謳 著北川 登園 著小沢 優子 著小沢 栄太郎,松本 克平,嵯峨 善兵,信 欣三 著(発行元 STUDIO CELLO角川書店白水社みみずくぷれす早川書房 ’07’96’93’89’87発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報