朝日日本歴史人物事典 「小池張造」の解説
小池張造
生年:明治6.2.8(1873)
明治大正期の外交官。福島県生まれ。松川藩(茨城県)士小池友謙とツネの子。明治29(1896)年帝大法科大学政治学科卒業後外交官補となって朝鮮に勤務。1年後英国在勤となり加藤高明公使に能力をかわれ,33年,加藤が第4次伊藤博文内閣の外相に就任すると,秘書官兼書記官として本省に戻された。34年清国,35年英国の公使館書記官。39年ニューヨーク,40年サンフランシスコ,41年奉天の各総領事。45年英国大使館参事官。第1次山本権兵衛内閣下で大正2(1913)年10月外務省政務局長。前任者の阿部守太郎は中国政策に不満の対外強硬論者に暗殺され,緊迫した状況だった。続く第2次大隈重信内閣の外相は再び加藤となり,そのもとで対華21カ条要求(1915),中国第3革命(1916)をめぐり精力的に活動する。外務官僚としては異例の志士的心情を持つため何かと物議を醸した。寺内正毅内閣下で英国大使館参事官に任命されるが辞職し,久原本店理事となって実業界に入る。<参考文献>黒竜会編『東亜先覚志士記伝』,栗原健『対満蒙政策史の一面』
(斎藤聖二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報