小林中(読み)こばやしあたる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小林中」の意味・わかりやすい解説

小林中
こばやしあたる
(1899―1981)

経営者、財界人山梨県東八代(ひがしやつしろ)郡石和(いさわ)村(現、笛吹(ふえふき)市)に石和銀行頭取(とうどり)矢崎貢(みつぐ)(1864―?)の次男として生まれる(のち母方の祖父小林伝右衛門の養子となる)。早稲田(わせだ)大学政経科を中退し、石和銀行取締役兼支配人となるが、1929年(昭和4)同郷の先輩根津嘉一郎(かいちろう)(初代)の富国徴兵保命(のち富国生命)に入り、1943年社長。第二次世界大戦後の1946年(昭和21)東京急行電鉄(現、東急)の社長も務めるが、1951年日本開発銀行初代総裁に選任される。経済団体連合会、日本経営者団体連盟の各常任理事として財界で活躍。インドネシア賠償交渉政府代表等ののち、1968年アラビア石油社長、1971年同会長、日本航空会長(1977年退任)を最後に第一線を退く。その後もアラビア石油相談役、外務省顧問として「財界相談役」の立場にあった。

[浅野俊光]

『『財界――日本の人脈』(1970・読売新聞社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小林中」の意味・わかりやすい解説

小林中
こばやしあたる

[生]1899.2.17. 山梨
[没]1981.10.28. 東京
経営者。早稲田大学を中退。実業界に入った。 1946年東急電鉄社長。 51年,日本開発銀行 (現日本政策投資銀行) 創設とともに初代総裁となる。これは,政界の吉田茂首相-池田勇人蔵相と,財界の大御所宮嶋清次郎-小林という緊密な人脈による人事で,以後小林は吉田政権下の日本経済再建に大きく寄与した。同時に,宮嶋の後継者桜田武永野重雄水野成夫とともに「財界四天王」と称され,吉田-池田-佐藤の「保守本流」のうしろだてとなった。 57年退任後も,アラビア石油社長,日本航空会長などをつとめた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小林中」の解説

小林中 こばやし-あたる

1899-1981 昭和時代の実業家,財界人。
明治32年2月17日生まれ。根津嘉一郎にみとめられ,昭和4年富国徴兵保険(富国生命の前身)にはいる。18年社長。この間,帝人事件に連座し長期勾留されるが無罪。26年日本開発銀行初代総裁。のちアラビア石油社長,日本航空会長。経団連,日経連の常任理事をつとめた。32年には政府特使としてインドネシアとの平和条約・賠償交渉をまとめた。昭和56年10月28日死去。82歳。山梨県出身。早大中退。旧姓は矢崎。

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