精選版 日本国語大辞典 「小松原英太郎」の意味・読み・例文・類語
こまつばら‐えいたろう【小松原英太郎】
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(中野実)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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明治・大正期の官僚、政治家。岡山県出身。嘉永(かえい)5年2月16日生まれ。慶応義塾を中退して自由民権運動に関係し、筆禍事件により2年半投獄された。1878年(明治11)出獄して朝野新聞社に入社、翌年岡山で『山陽新報』を発刊。1880年官僚に転身して外務省に出仕、ついで埼玉、静岡、長崎の各県知事や司法次官、内務次官などを歴任、1900年(明治33)貴族院議員に勅選された。1908年、第二次桂太郎(かつらたろう)内閣の文部大臣に就任、1916年(大正5)枢密顧問官となり、山県有朋(やまがたありとも)系の政治家として活動した。大正8年12月25日没。
[時野谷勝]
…当初は大同団結運動支持の柴四朗(東海散士)主筆の下で政治色が強かったが経営上は振るわず,89年からは本山彦一相談役と渡辺治(1864‐93)社長兼主筆の指導の下に穏和な論調の紙面作りと広告収入の増加で発展し,《大阪朝日新聞》と並ぶ阪神地方の有力紙となった。97年から原敬,1900年から小松原英太郎(1852‐1919)が社長を務め,とくに原は紙面の平易化,家庭面,海外通信の拡充に努めた。03年,本山が社長に就任,新聞の独立のためには経営の独立が必要だとして〈新聞商品主義〉を掲げて約30年間経営に当たり,《大毎》の発展に貢献した。…
※「小松原英太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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