小東荘
こひがしのしょう
大和(やまと)国広瀬郡北郷(奈良県北葛城(きたかつらぎ)郡河合町付近)の東大寺領荘園。東大寺は毎年大仏の供料として白米35石5斗、年料油(ねんりょうゆ)6石4斗8升5合、安居(あんご)供養料21石6斗2升7合などを国家から支給されることになっていた。実際の納入は大和国衙(こくが)が行ったが、律令(りつりょう)制的徴税体系の弛緩(しかん)などにより国衙からの納付は困難になり、やがて大和国内の郷や名(みょう)が指定されてそこから東大寺へ直接納入が図られるようになった。白米納入のために36町(1町は約119アール)の免田(めんでん)(反別1斗)が設定されることになり、1054年(天喜2)にはそのうち7町が、1076年(承保3)からは11町が広瀬郡の大田犬丸名(おおたいぬまるみょう)にあてられており、同名を中心とした地域がしだいに小東荘として成立していった。
1144年(天養1)の坪付(つぼつけ)には荘民約40人、田20町、畠(はた)11町余、屋敷地5町余、林や山4町弱の総計約40町の荘地が登録されている。
[安田次郎]
『稲垣泰彦著『日本中世社会史論』(1981・東京大学出版会)』
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小東荘【こひがしのしょう】
大和国広瀬(ひろせ)郡の荘園。現在の奈良県河合町を中心に広陵(こうりょう)町の一部を含む地域。東大寺領。東大寺大仏に供える白米を納めていた国衙(こくが)領大田犬丸名(おおたいぬまるみょう)を前身とする。1076年に同名のうち11町の坪を定め,白米免田として寺領化。東大寺は荘内公田や免田付属地の加納田(かのうでん)の寺領化も推進,1144年ころまでには四十数町の一円寺領が完成。荘内には白米生産者の上人(じょうにん)を中心に構成した20前後の名(みょう)(名・名田)があった。平氏政権下では平宗盛(むねもり)・平重衡(しげひら)らの所領があり,宗盛による寺領横領事件もあったが,その後の推移は不明。
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こひがしのしょう【小東荘】
大和国広瀬郡(現,奈良県北葛城郡河合町,広陵町の一部)の荘園。史料上は,大和の国衙領の太田犬丸名として1046年(永承1)に初めてあらわれる。これが東大寺領小東荘の前身である。東大寺と太田犬丸名との関係は,54年(天喜2)ころ,同名が大和における東大寺大仏供白米免田に指定され,東大寺が反別1斗の白米収納権をもって以来である。76年(承保3)白米免田は従前の浮免田を定坪と定める宣旨が下され東大寺領となった。
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