小幡文書(読み)おばたもんじよ

日本歴史地名大系 「小幡文書」の解説

小幡文書
おばたもんじよ

解説 西上野の国人で国峰城主であった小幡氏の相伝文書。埼玉県行田市小幡良蔵、神奈川県立文化資料館蔵、尊経閣文庫蔵など二〇余点が確認される。鎌倉時代の小幡氏は甘楽郡小幡郷(甘楽町)名字の地とする児玉党(有道氏)の一流で、小幡平太行頼の時に鎌倉御家人となり、鏑川流域から秩父地方にかけて地頭職をもっていた。長尾氏・長野氏とともに西上野における守護上杉氏の有力被官として勢力を張り、戦国時代には国峰城に拠り、おもに足利衆(長尾氏)として軍事編制されていた。だが甲州・信州勢力の入口に位置したため、永禄四年の武田信玄国峰侵攻に際して降伏し、小幡信真・道佐(もと足利衆)、同信尚(総社衆)以下一族が武田方に属した。有道姓小幡氏は室町期まで確認できるが、長野氏系・甲州米沢系小幡氏など諸流があり確定は困難である。

活字本 大部分を「群馬県史」資料編七に採録

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報