小川九郎兵衛(読み)おがわ・くろべえ

朝日日本歴史人物事典 「小川九郎兵衛」の解説

小川九郎兵衛

没年:寛文9.12.17(1670.2.7)
生年元和8(1622)
江戸前期に武蔵野新田開発を推進した土豪。諱は安次。武蔵国多摩郡岸村(東京都武蔵村山市)の出身。明暦2(1656)年幕府出願,翌年岸村の東南東約10kmの武蔵野で開発に着手玉川上水野火止用水の分水地点に,青梅街道に沿い街村状の集落を作り,その後背に短冊型の新畑を開発,小川新田(東京都小平市)と名付けた。新田は,青梅から江戸への白土(石灰)運送の馬継場となり伝馬をも負担。子孫幕末まで同村の名主世襲。<参考文献>「小川家文書」(小平市立図書館蔵),『小平町誌』,木村礎・伊藤好一『新田村落

(根岸茂夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小川九郎兵衛」の解説

小川九郎兵衛 おがわ-くろべえ

1622-1670* 江戸時代前期の開拓者
元和(げんな)8年生まれ。武蔵(むさし)多摩郡(東京都)岸村の郷士。明暦2年(1656)幕府の許可をえて玉川上水と野火止用水の分水地点から東側の武蔵野台地に新田を開発,小川新田(小平市小川町)と名づけた。幕末まで子孫が名主を世襲。寛文9年12月17日死去。48歳。名は安次。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小川九郎兵衛の言及

【小平[市]】より

…都心から西へ25km,多摩地区北東部にある。小平の開発は,武蔵野の新田開発の一環として小川九郎兵衛によって明暦年間(1655‐58)に始められた。青梅・五日市両街道に沿う集落は美しいケヤキ並木,防風林をめぐらした農家,道路に直角の短冊状の地割り,道路に沿った用水路など,武蔵野の新田集落の形態を代表する。…

※「小川九郎兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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