小島信夫(読み)コジマノブオ

デジタル大辞泉 「小島信夫」の意味・読み・例文・類語

こじま‐のぶお〔‐のぶを〕【小島信夫】

[1915~2006]小説家。岐阜の生まれ。「第三の新人」の一人。「アメリカン・スクール」で芥川賞受賞。他に「抱擁家族」「別れる理由」「うるわしき日々」など。芸術院会員。平成6年(1994)文化功労者

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小島信夫」の意味・わかりやすい解説

小島信夫
こじまのぶお
(1915―2006)

小説家。大正4年2月28日、岐阜市に生まれる。父は仏具師。県立岐阜中学(現、岐阜県立岐阜高等学校)卒業後、旧制第一高等学校に入学。中学時代より文学少年で、高校でも文芸部委員となり、福永武彦(たけひこ)、中村真一郎、加藤周一矢内原伊作(いさく)(1918―1989)と知り合う。1941年(昭和16)東京帝国大学文学部英文科卒業。東大時代は岡本謙次郎(1919―2003)、矢内原伊作、宇佐美英治(1918―2002)らと同人雑誌『崖(がけ)』により、『死ぬと云(い)ふことは偉大なことなので』(1939)、『往還』『公園』(ともに1940)などを発表。ロシアの作家ゴーゴリから強い影響を受ける。卒業後は私立日本中学に勤めるが、1942年徴兵されて一兵卒として華北戦線に従軍し、暗号兵の教育を受ける。北京の燕京(えんきょう)大学に常駐していた情報機関に所属していたが、第二次世界大戦の終戦で1946年(昭和21)に帰国し、郷里の岐阜県庁や岐阜師範学校、あるいは千葉県の佐原(さわら)女学校、都立小石川高等学校に勤め、1954年以降は明治大学で英語・英文学教員定年まで続ける。

 1948年に大学時代の同人誌仲間を中心に岡本謙次郎、宇佐美英治、原亨吉(こうきち)(1918―2012)、矢内原伊作、白崎秀雄(1920―1993)らと『同時代』を創刊し、『汽車の中』(1948)、『燕京大学部隊』(1952)などを発表。同誌掲載の『小銃』(1952)が『新潮』同人雑誌推薦号に載り、好評を博し文壇にデビューした。以後ユーモアと風刺をきかせた小説『吃音(きつおん)学院』(1953)、『星』『アメリカン・スクール』『城砦(じょうさい)の人』『馬』(いずれも1954)などを精力的に発表し、1955年『アメリカン・スクール』で芥川(あくたがわ)賞を受賞。弱者の心理、劣等生の悲しみ等をユーモラスに描く作風に特徴がある。彼と前後して文壇に出た安岡章太郎吉行淳之介遠藤周作、庄野潤三らとともに第三の新人の一人と目された。

 しかしその一方、カフカ的傾向の作品も多く、寓話(ぐうわ)的抽象世界の造形は注目に値する。1957年ロックフェラー財団の招きで渡米。1965年の『抱擁家族』で谷崎潤一郎賞受賞。『私の作家評伝』(1972~1975)などの評論や保坂和志(かずし)(1956― )との共著『小説修行』(2001)がある。また、小説の新しい可能性を追究した『美濃』(1981)、『月光』(1984)、『平安』(1986)や14年間かけて完結した大長編『別れる理由』上中下(1982)は小説と現実との関係を意欲的に問い直した前衛的作品である。1987年には、『抱擁家族』『別れる理由』に続く第三部『静温な日々』を発表した。1990年代に入ると、「老い」をテーマにして、新聞連載の長編『うるわしき日々』(1997)、作品集『こよなく愛した』(2000)、小島信夫に縁のある三つの土地で語り始められる連作小説集『各務原(かかみがはら)・名古屋・国立(くにたち)』(2002)を著した。2006年(平成18)には『残光』を発表。1994年文化功労者。

[松本鶴雄]

『『小島信夫全集』全6巻(1971・講談社)』『『墓碑銘・燕京大学部隊』(1983・福武書店)』『『平安』(1986・講談社)』『『寓話』(1987・福武書店)』『『静温な日々』(1987・講談社)』『『こよなく愛した』(2000・講談社)』『『各務原・名古屋・国立』(2002・講談社)』『『小銃』(集英社文庫)』『『私の作家評伝』(潮文庫)』『『抱擁家族』『殉教・微笑』『うるわしき日々』(講談社文芸文庫)』『『月光・暮坂――小島信夫後期作品集』(講談社文芸文庫)』『『アメリカン・スクール』改版(新潮文庫)』『『残光』(新潮文庫)』『『別れる理由』1~3(小学館文庫)』『大橋健三郎他編『小島信夫をめぐる文学の現在』(1985・福武書店)』『千石英世著『小島信夫 ファルスの複層』(1988・小沢書店)』『江藤淳著『成熟と喪失』(講談社文芸文庫)』『小島信夫・保坂和志著『小説修業』(中公文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小島信夫」の意味・わかりやすい解説

小島信夫
こじまのぶお

[生]1915.2.28. 岐阜,加納
[没]2006.10.26. 東京,国分寺
小説家。 1941年東京帝国大学英文学科卒業。日本中学校に勤務したが召集され,1946年復員後は岐阜県庁,岐阜師範学校などに勤めた。 1954年明治大学助教授となり,のちに教授。『小銃』 (1952) ,『吃音学院』 (1953) ,『城砦の人』 (1954) など,日常生活の断面をとらえて現代人の精神のひずみを描く苦いユーモアで注目され,第2次世界大戦後のアメリカ人と日本人の不安定な人間関係の心理模様を映した短編『アメリカン・スクール』 (1954) で芥川賞を受賞。安岡章太郎吉行淳之介庄野潤三らとともに「第三の新人」と呼ばれ,注目された。代表作に長編『島』 (1955) ,『愛の完結』 (1956) ,第1回谷崎潤一郎賞を受賞した『抱擁家族』 (1965) ,『別れる理由』 (1982) ,『残光』 (2006) などがある。評論の『私の作家評伝』は芸術選奨文部大臣賞を受賞。 1982年日本芸術院賞受賞。 1989年日本芸術院会員。 1994年文化功労者。 2004年勲二等旭日重光章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小島信夫」の解説

小島信夫 こじま-のぶお

1915-2006 昭和後期-平成時代の小説家。
大正4年2月28日生まれ。昭和36年から60年まで明大教授。専門は英文学。30年「アメリカン・スクール」で芥川賞をうけ,「第三の新人」のひとりと目される。40年「抱擁家族」で谷崎潤一郎賞,57年「別れる理由」で野間文芸賞,平成10年「うるわしき日々」で読売文学賞。自身と周辺を作品化しながら社会事象にも目をむけ,評伝の類もおおい。6年文化功労者。芸術院会員。平成18年10月26日死去。91歳。岐阜県出身。東京帝大卒。

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百科事典マイペディア 「小島信夫」の意味・わかりやすい解説

小島信夫【こじまのぶお】

小説家。岐阜県生れ。東京帝大英文科卒。軍隊から復員後,高校,大学の教師をしながら創作活動を行う。《アメリカン・スクール》(1955年)で第32回芥川賞受賞。〈第三の新人〉の一人に数えられたが,作風は前衛的で異質。代表作に《抱擁家族》(1965年),《別れる理由》(1982年)など。ほかに評論《私の作家評伝》(1972年―1975年)など。1997年,《うるわしき日々》で第49回読売文学賞を受賞。

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