日本大百科全書(ニッポニカ) 「小学校」の意味・わかりやすい解説
小学校
しょうがっこう
elementary school
日本の学校体系のなかで、中等教育、高等教育を施す学校に対して、初等教育を施すための学校であり、第二次世界大戦中の国民学校時代を除き、明治以降一貫して小学校とよばれてきた。児童期のすべての子供に対して、将来国民として必要とされる共通の基礎的な知識・技能を習得させる学校である。
[津布楽喜代治]
目的・目標
2006年(平成18)に全面改正された新しい教育基本法(平成18年法律第120号)は、「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする」(第5条第2項)と定め、小・中学校9年間を一貫した教育を明示した。これを受け、学校教育法はこの義務教育の目的の実現に向けて、義務教育の目標を10項目にわたって揚げた(第21条1~10号)。10項目を要約すると次のようである。
(1)自主・自律と協同の精神、規範意識と公正な判断力ならびに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画しその発展に寄与する態度を養う。
(2)自然体験活動を促進し、生命・自然を尊重する精神と環境の保全に寄与する態度を養う。
(3)我が国と郷土の現状と歴史について正しい理解に導き、伝統と文化を尊重しそれらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う。
(4)家族と家庭の役割、衣・食・住、情報・産業等について基礎的な理解と技能を養う。
(5)読書に親しませ国語を正しく理解し使用する基礎的な能力を養う。
(6)数量的な関係を正しく理解し処理する基礎的な能力を養う。
(7)自然現象について科学的に理解し処理する基礎的な能力を養う。
(8)健康安全で幸福な生活に必要な習慣と体力を養い心身の調和的発達を図る。
(9)音楽・美術・文芸等について基礎的な理解と技能を養う。
(10)職業についての基礎的な知識・技能と勤労を重んずる態度および進路を選択する能力を養う。
そして、小学校は、この義務教育として行われる普通教育のうち基礎的なものを施すことを目的とし(第29条)、前述の第21条に掲げる目標を達成すべく、生涯にわたり学習する基礎が培われるよう基礎的な知識・技能を習得し、これを活用して課題解決に必要な思考力・判断力・表現力等をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うとしている(第30条)。
[津布楽喜代治]
歴史
小学校は、1872年(明治5)の「学制」において発足し、「小学校ハ教育ノ初級ニシテ人民一般必ス学ハスンハアルヘカラサルモノトス」と定められた。1886年には小学校令が制定され、尋常小学校4年、高等小学校4年とし、尋常小学校の4年が義務教育とされたが、別に修業年限3年以内の小学校簡易科が認められた。1890年には小学校令が改正され、市町村に小学校の設置が義務づけられた。また、この改正小学校令において、「小学校ハ児童身体ノ発達ニ留意シテ道徳教育及国民教育ノ基礎並其(その)生活ニ必須(ひっす)ナル普通ノ知識技能ヲ授クルヲ以(もっ)テ本旨トス」(1条)と小学校教育の目的が明確にされたのである。1900年(明治33)には尋常小学校4年間の義務教育が確定され、続いて1907年には尋常小学校を6年、高等小学校を2年とし、義務教育が尋常小学校6年間に延長された。この間、小学校への就学率もしだいに上昇をたどった。すなわち、1873年には約28%にすぎず、1877年にも約40%であったが、日清(にっしん)戦争後急上昇し、1902年に90%を超え、1907年には97%に達したのである。
なお、1941年(昭和16)の国民学校令により、それまでの小学校の名称が国民学校に変わり、太平洋戦争への総力戦体制に対応して皇国民錬成の教育を目ざしたが、1947年(昭和22)の学校教育法の公布により、ふたたび小学校の呼称に戻った。
[津布楽喜代治]
現行制度
第二次世界大戦後、学校教育法のもとで、小学校は修業年限6年とされ、中学校3年とともに義務教育とされるに至った。そして、保護者に対しては、その子を満6歳から満12歳まで小学校に就学させる義務を課し、市町村に対しては、区域内の学齢児童を就学させるに必要な小学校を設置することを義務づけた。
小学校の学級は同学年の児童で編制することが原則であり、1学級の児童数は40人を標準とし、この標準のもとで各自治体が実質的な少人数学級を目ざして、くふうするよう奨励され、さらに35人を標準とする方向で法改正が進んでいる。また、男女共学の学級編制を原則としている。なお、小学校は12学級以上18学級以下が標準規模とされている。小学校の教職員としては、校長、教頭、教諭、養護教諭、事務職員を必置とし、副校長、主幹教諭、指導教諭、栄養教諭その他必要な職員(学校用務員、学校栄養職員、給食従事員、学校警備員等)を置くことができると定めている(学校教育法第37条)。このうち、栄養教諭は2005年から、副校長・主幹教諭・指導教諭は2007年からの比較的新しい職であり、栄養教諭は児童の栄養の指導・管理(食育の推進)、副校長等は組織的・機動的な学校運営等を目ざして設けられた。つまり、教員が直接的な教育活動に専念集中できるようにし、児童に対する教育の質的向上を目ざしているのである。しかし、小学校には校長のほかは各学級に専任の教諭1人以上を置くというだけであり、教員の定数増が望まれている。なお、小学校では、中学校、高等学校に比して女性教師が多く、2010年度(平成22)の時点で、全体の62.8%を占めている。ちなみに、中学校は41.9%、高等学校は29.4%である。
小学校の教育内容、つまり教育課程は前掲の目的・目標の達成を目ざして、教科(国語、社会、算数、理科、生活、音楽、図画工作、家庭、体育)、道徳、外国語活動、総合的な学習の時間および特別活動(学級活動、児童会活動、クラブ活動、学校行事)によって編成される。具体的には、文部科学省の定める小学校学習指導要領を基準とし、各学校においてその児童や地域の実態に応じて、教育課程を編成するのである。学習指導要領については、学校教育の普及拡大と受験競争の激化や社会の急激な変化などに対応して、ほぼ10年ごとに改訂が行われてきたが(2008年に7回目の改訂が行われた)、学習指導要領の大綱化、教育内容の精選、授業時間数の改善、学校と家庭・地域社会との連携などがその基本的な方向となっている。
[津布楽喜代治]
課題
このように、小学校教育は拡充整備されてきたが、なお幾多の問題がある。以下に列挙する。
(1)義務教育諸学校としてつねに中学校と一体的にとらえられてきたが、しかし両者の関係は内容的にはまだ不十分なものがある。小・中教育の連携をさらに進めるくふうが必要である。いわゆる「中1ギャップ」(小・中学校間の段差)をなくし、円滑に教育を進めようと、小中一貫教育が取り組まれている。また、児童の成長の加速化(小学校高学年は思春期)や教育の高度化等を背景に、六三制そのものを見直し、たとえば小学校1~4年、小学校5・6年と中学校1年、中学校2・3年、という区切り方を用いて、四三二制とする動きもみられる(小中一貫教育)。
(2)幼稚園、保育所との関係である。就学前の幼児教育は著しく普及し、小学校の新入学児童のほとんどが幼稚園、保育所を経由して入学している。幼稚園、保育所との連携の緊密化を図ることが重要である。いわゆる「小1プロブレム」(学校生活への不適応状況)の克服を目ざし、幼稚園・保育所・小学校の連携、すなわち子供相互の交流そして保育者と教員の交流・共同研究等の取り組みが進められている。
(3)教育課程の改善である。幼・保・小の連携のためにも、低学年の教育内容の検討が必要とされるが、さらに合科的指導、体験学習などを含めて、充実した小学校教育が求められる。具体的には、1989年(平成1)に小学校低学年に生活科が設けられ、さらに1998年には中・高学年に体験的な学習を含めて主体的な思考力・問題解決力などを培う総合的な学習の時間が設けられるなど、改善の努力が続けられてきた。そして、2008年改訂の学習指導要領においては、国際化・情報化・都市化等の社会環境の変化を背景に、言語力と体験学習の充実を柱として、生きる力(確かな学力・豊かな心・健やかな体)を培う教育が目ざされ、小学校における英語活動や理数教育の充実が関心をよんでいる。
[津布楽喜代治]
『倉沢剛著『小学校の歴史』全4巻(1963~1971・ジャパンライブラリービューロー)』▽『中島太郎著『近代日本教育制度史』(1966・岩崎書店)』▽『文部省編『学制百年史』(1972・帝国地方行政学会)』▽『伊藤敏行・江上芳郎編『学校の歴史 第2巻 小学校の歴史』(1979・第一法規出版)』▽『藤田英典著『義務教育を問い直す』(2005・筑摩書房)』▽『国立教育政策研究所教育課程研究センター著『幼児期から児童期への教育』(2005・ひかりのくに)』▽『品川区教育委員会編著『品川区小中一貫教育要領』(2005・講談社)』▽『亀井浩明監修、品川区立小中一貫校日野学園著『小中一貫の学校づくり』(2007・教育出版)』▽『篠原孝子・田村学編著『幼稚園・保育所と小学校の連携ポイント』(2009・ぎょうせい)』▽『鈴木勲編著『逐条学校教育法』第7次改訂版(2009・学陽書房)』