小夜ノ中山(読み)さよのなかやま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小夜ノ中山」の意味・わかりやすい解説

小夜ノ中山
さよのなかやま

静岡県掛川市(かけわし)東部にある山地で、旧東海道の越える難所の一つ。佐夜とも書く。夜泣石(よなきいし)伝説で知られる。掛川市日坂(にっさか)と島田市菊川との間の約3キロメートルほどの尾根に沿う区間で、日坂宿と金谷宿との間にあり、古代の交通路では横尾駅(掛川市)と初倉駅(島田市)との間にあたる。小夜は狭谷(さや)の転訛(てんか)とも考えられる。『古今和歌集』など多くの歌に詠まれ、とくに西行(さいぎょう)法師の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山」で有名になった。現在の東海道は北側の谷を通る。子育(こそだて)観音がある久延寺(きゅうえんじ)や、子育飴(あめ)を売る茶屋などがある。

[北川光雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「小夜ノ中山」の意味・わかりやすい解説

小夜ノ中山 (さよのなかやま)

歌枕。静岡県掛川市日坂(につさか)と島田市の旧金谷町の間にあり,東海道の難所として知られた。古くは〈さやの中山〉と呼ばれ,《古今和歌集》巻二に載る紀友則の歌〈あづまぢのさやの中山なかなかになにしか人を思ひそめけむ〉が初出。西行の〈年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさ夜(よ)の中山〉(《新古今和歌集》巻十)は名歌として,後世,ここを通った文人らの紀行にはしばしば引用された。〈さや〉を〈さよ〉と呼ぶことはこのころから始まる。夜泣石(よなきいし)の伝説でも著名で,子育観音で知られる久延寺がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小夜ノ中山」の意味・わかりやすい解説

小夜ノ中山
さよノなかやま

静岡県南西部,掛川市と島田市の境にある旧東海道筋の中山峠を含む山地。「佐夜 (さや) ノ中山」ともいう。峠の標高は約 240m。平安時代以降旧東海道の難所として知られ,『新古今和歌集』にある西行法師の歌で有名。夜泣石の伝説があり,峠の集落に子育観音がある。茶園が広がり,峠からの富士山,南アルプス連山の眺望はすばらしい。国道1号線は北側をトンネルで通る。

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