小圃 千浦(読み)オバタ チウラ

20世紀日本人名事典 「小圃 千浦」の解説

小圃 千浦
オバタ チウラ

明治〜昭和期の日本画家



生年
明治18(1885)年

没年
昭和50(1975)年10月6日

出生地
岡山県後月郡井原町

出身地
宮城県仙台市

旧姓(旧名)
佐藤

経歴
5歳の時、小圃家の婿となった兄・六一の養子となる。7歳で兄から水墨画を学ぶ。明治32年14歳で上京、村田丹陵に師事。17歳で日本美術院正会員となる。第11回絵画共振会で銀杯を獲得。36年サンフランシスコへ渡り、邦字紙のイラストなどを手がける。永年画家として活躍できないまま過ぎたが、渡米24年後の昭和2年カリフォルニア大学美術部教授ワース・ライダーらのネバダ山脈ヨセミテへの制作旅行に参加。これをきっかけにカリフォルニア大学バークレー校で日本画を指導、のちに名誉教授となる。日米開戦によって収容所に収監されたが、収容所内で美術学校を創立し、日系人の精神的荒廃を防ごうと尽力。「キャンプ・シーン」と総称される作品群を制作。平成7年日本で初めての展覧会が開かれる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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