尊照(読み)そんしょう

改訂新版 世界大百科事典 「尊照」の意味・わかりやすい解説

尊照 (そんしょう)
生没年:1562-1620(永禄5-元和6)

浄土宗本山知恩院中興。字は満誉(まんよ),号は行蓮社。万里小路(までのこうじ)秀房の孫で,叔父聡補(そうほ)(知恩院第28世)の弟子となり,下総国生実の大巌寺の虎角(こかく)について修学した。1595年(文禄4)聡補の譲りをうけて知恩院第29世住職についた。97年(慶長2)徳川家康とはかって〈関東浄土宗法度(はつと)〉をさだめ,関東地方の有力な浄土宗寺院を末寺におさめた。1609年僧正に任じられ,15年(元和1)家康より〈浄土宗諸法度〉を下付されて,知恩院を宮門跡を置く浄土宗第一の本山とした。また家康,秀忠2代の援助をえて,寺域の拡大と堂舎の造営を行うなど,知恩院の発展に多大の功績を残している。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尊照」の解説

尊照 そんしょう

1562-1620 織豊-江戸時代前期の僧。
永禄(えいろく)5年生まれ。万里小路惟房(までのこうじ-これふさ)の養子。浄土宗。元亀(げんき)3年盧山寺で出家し,叔父の知恩院の宗甫,大巌寺の虎角に師事。徳川家康の養子となり,文禄(ぶんろく)4年知恩院29世。浄土宗総本山としての基礎をかためた。同院中興の祖といわれる。元和(げんな)6年6月25日死去。59歳。字(あざな)は九花。号は行蓮社満誉。

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世界大百科事典(旧版)内の尊照の言及

【知恩院】より

…係争は1575年(天正3)に,知恩院が浄土宗の本寺であり,香衣着用の勅許は知恩院よりの執奏(しつそう)によることを定めた綸旨(りんじ)が出されて,一応の結着をみた。 29世尊照は徳川家康の帰依をうけ,知恩院の発展につとめた。家康は,1603年(慶長8)伽藍の拡張工事を行い,07年宮門跡を置き,15年(元和1)浄土宗法度を定めた。…

※「尊照」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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