尊号一件(読み)そんごういっけん

改訂新版 世界大百科事典 「尊号一件」の意味・わかりやすい解説

尊号一件 (そんごういっけん)

江戸後期,光格天皇がその父である閑院宮典仁親王太上天皇(譲位した後の天皇)の尊号を贈ろうとして幕府に拒否された事件。1789年(寛政1)天皇は,前大納言中山愛親(なるちか)に命じて先例を調べさせ,承久~文安年間(鎌倉・室町時代)に2例あることを根拠として,所司代を通じて尊号宣下の承認を幕府に求めた。幕府では首席老中松平定信から関白鷹司輔平に書を送り,君臣名分私情によって動かすべきでないとの意見を述べた。その後数度の書信往復があって,朝廷側では要求を撤回したが,91年関白が一条輝良に代わると,朝廷は再び同じ要求を持ち出し態度を硬化させたので,幕府はあくまで拒絶の態度を決め,老中松平信明が上京して事に当たり,天皇はついに尊号宣下の企てを放棄した。93年幕府はこの事件にかかわった中山愛親・正親町(おおぎまち)公明の両卿を処罰し,さらに多数の公卿戒飭(かいちよく)した。また閑院宮家には一代を限って1000石を増進した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「尊号一件」の意味・わかりやすい解説

尊号一件
そんごういっけん

江戸後期、光格(こうかく)天皇が生父の閑院宮典仁(すけひと)親王に太上(だいじょう)天皇の尊号を贈ろうとして幕府に拒否された事件。1789年(寛政1)朝廷は尊号宣下の承認を幕府に求めたが、老中松平定信(さだのぶ)は、本来太上天皇は天皇退位者に贈られる尊号であるのに、皇位を踏まぬ典仁親王に贈ろうとするのは、名誉を私するものだとして反対した。しかし、朝廷側も譲らず、その後繰り返し交渉が行われたが、幕府の断固たる拒絶にあってついに実現せず、93年に武家伝奏正親町公明(おおぎまちきんあきら)、議奏の中山愛親(なるちか)の二卿(きょう)が江戸に喚問され、愛親は閉門、公明は逼塞(ひっそく)の処罰を受けて一件は落着した。

 当時、11代将軍徳川家斉(いえなり)も生父の一橋治済(ひとつばしはるさだ)を江戸城西の丸に迎えて、大御所(おおごしょ)の称号を贈ろうと計画しており、これに反対の松平定信は、その先例的事実となる尊号宣下に強硬に反対したともいわれている。

[竹内 誠]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尊号一件」の意味・わかりやすい解説

尊号一件
そんごういっけん

寛政1 (1789) 年光格天皇が父典仁親王に太上 (だいじょう) 天皇の尊号を贈りたい旨江戸幕府に希望した際,老中松平定信が皇統を継がない者で尊号を受けるのは皇位を私するものとして拒否した一連の事件。朝廷では,一時このことを見合せたが,再び参議以上の公卿 35名の意見を求めたところ大部分が賛成であったため幕府にその旨を伝えた。ところが定信は強硬な態度に出て,武家伝奏正親町 (おおぎまち) 公明,議奏中山愛親を処罰し,武家伝奏万里小路 (までのこうじ) 政房の役を免じた。光格天皇は痛憤したが,ついにあきらめ幕府の力に屈服した。この事件は朝幕関係に重大なしこりを残した。

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百科事典マイペディア 「尊号一件」の意味・わかりやすい解説

尊号一件【そんごういっけん】

1789年光格天皇が父の閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとして,幕府の老中松平定信に反対された事件。反対の理由は,君臣の名分を私情によって動かすべきではないということにあった。朝廷の再三の要求も,1793年幕府に最終的に拒否された。→閑院宮家

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旺文社日本史事典 三訂版 「尊号一件」の解説

尊号一件
そんごういっけん

江戸後期,光格天皇が実父閑院宮典仁 (すけひと) 親王に太上天皇の尊号を贈ろうとし,老中松平定信に拒まれた事件
尊号事件ともいう。1789年から'93年まで継続。11代将軍徳川家斉の実父一橋治済 (はるさだ) が,これを例として大御所となり政治に介入するのを定信が防ごうとしたといわれる。これより朝幕関係は悪化し,定信失脚の一因となった。

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世界大百科事典(旧版)内の尊号一件の言及

【寛政改革】より

…とくに解任直前には,定信は他の老中の意見をほとんど聞かず,幕閣から浮きあがっていたようである。定信解任の理由としてこのほかに,光格天皇が生父閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとし,定信がこれに反対した〈尊号一件〉,さらに将軍家斉が実父の一橋治済を大御所として江戸城に迎え入れようとしたのを,定信がいさめたいわゆる大御所問題により,家斉・治済と定信との対立が深刻化したことが挙げられる。しかし寛政改革を定信とともに推進してきた老中松平信明らは,定信解任後も幕閣にとどまっており,これら〈寛政の遺老〉により,文化末年ごろまで寛政改革路線は継承されている面が多い。…

【光格天皇】より

…在位の間とくに旧儀の再興に意を用い,石清水社,賀茂社の臨時祭をはじめ儀式公事の再興をみたものも少なくない。朝幕間に緊張を起こした事件に〈尊号一件〉がある。すなわち天皇は89年(寛政1)後高倉院,後崇光院両太上天皇の先例により実父典仁親王に太上天皇の尊号を宣下しようとし,5年にわたる折衝にもかかわらず,幕府では老中松平定信が名分論をとって固く反対して,ついに断念せざるをえなかった。…

【典仁親王】より

…しかし幕府では老中松平定信が名分論をとって終始賛成しなかったため,この議は遂に成らず,93年このことに関与した議奏中山愛親,武家伝奏正親町公明が幕府から処罰されて終結をみた。いわゆる尊号一件であるが,のち1884年に至り,親王は明治天皇より太上天皇の尊号と慶光(きようこう)天皇の諡号(しごう)を追贈された。【武部 敏夫】。…

※「尊号一件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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