専修寺(三重県)(読み)せんじゅじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「専修寺(三重県)」の意味・わかりやすい解説

専修寺(三重県)
せんじゅじ

三重県津市一身田町(いっしんでんちょう)にある真宗高田(たかだ)派本山。高田山(たかださん)と号し、専修阿弥陀寺(せんじゅあみだじ)、無量寿寺(むりょうじゅじ)ともいう。本尊阿弥陀如来(にょらい)。1226年(嘉禄2)親鸞(しんらん)が下野(しもつけ)国大内(おおうち)庄高田(栃木県真岡(もおか)市高田)に創建したのが初めで、親鸞が京都に帰るに際して弟子の真仏にゆだねられ、以来、東国における親鸞教団の中心として栄えた。1465年(寛正6)第10世真慧(しんえ)のとき、寺基を現在地に移し、旧地には別院を建てて、親鸞が長野善光寺で感得したという一光三尊の弥陀像を安置した。1478年(文明10)勅願所となり、1511年(永正8)には後柏原(ごかしわばら)天皇の第二皇子真智(しんち)が入室したが、足利(あしかが)12代将軍義晴(よしはる)の猶子(ゆうし)として堯慧(ぎょうえ)が入寺し、第12世を継いで門跡(もんぜき)となるに及び、真智は越前(えちぜん)国(福井県)熊坂(くまさか)に別に専修寺を建てて住した。こののち一身田の専修寺は豊臣(とよとみ)秀吉や藤堂(とうどう)家の外護(げご)で栄え、1664年(寛文4)には越前の分派をあわせ、さらに1666年には炎上した堂宇も再興された。御影(みえい)堂(開山堂)、如来堂(本堂)は国の重要文化財に指定されている。寺宝は親鸞自画の真影、親鸞自筆の『三帖和讃(さんじょうわさん)』『西方(さいほう)指南抄』(ともに国宝)ほか、すこぶる多い。

[瓜生津隆真]


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