審査法(読み)しんさほう(英語表記)Test Act

翻訳|Test Act

改訂新版 世界大百科事典 「審査法」の意味・わかりやすい解説

審査法 (しんさほう)
Test Act

王政復古後のイギリスで,チャールズ2世がフランス王ルイ14世の援助をかりて,カトリックの信教自由化とそれにもとづく王権の強化を企てたとき,これに対抗して1673年に議会が制定した法律。〈テスト・アクト〉とも呼ばれる。これによって,すべての官職陸海軍を含む)保有者は英国国教会聖餐式への出席と,国家=教会の最高統轄者としての国王への忠誠の宣誓とを義務づけられ,またカトリックの根本教義である化体説の否認をも命じられた。プロテスタント非国教徒もこの法律の適用を受けたが,立法の真のねらいは高位官職からのカトリック教徒の排除にあり,王弟ヨーク公(のちのジェームズ2世)は立法直後海軍長官の職を辞して,かえってカトリック教徒であることを印象づけた。なお,上下両院からのカトリック教徒国会議員の排除を定めた1678年の立法を,第2次審査法と呼ぶこともある。審査法は1828年に正式に廃止され,また翌年にはカトリック解放法が制定された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「審査法」の意味・わかりやすい解説

審査法
しんさほう
Test Act

1673年イギリスで、非国教徒の公職就任を禁止するため制定された、「教皇主義を奉ずる国教忌避者より生ずる危険を防止する法律」の通称。テスト・アクトともいう。国家の文武役職にある者は国王至上と国王への忠誠を宣誓し、かつイギリス国教会の式次第にのっとった聖餐(せいさん)式において聖体拝領を受けねばならないことを定めた。72年、信仰自由宣言を発してカトリックへの寛容を推し進めようとしたチャールズ2世に対し、議会は73年に先の宣言を撤回させ、同時にこの法律を制定して国王の親カトリック政策に歯止めをかけた。ジェームズ2世が大権の名のもとにこの法律をしばしば執行停止や適用免除に処したことは、名誉革命の原因の一つとなった。しかし革命後は、当初のねらいとは異なり、むしろプロテスタント非国教徒への差別待遇を温存する結果となり、彼らは、1828年にこの法律が廃止されるまで、公職から締め出されたままとなった。

[大久保桂子]

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百科事典マイペディア 「審査法」の意味・わかりやすい解説

審査法【しんさほう】

英国における非国教徒の公職就任を禁止した法律Test Act。1673年制定。国王チャールズ2世の〈信仰自由宣言〉によるカトリック化政策に反対した議会は,信仰自由宣言を取り消させ,公職につくものは,国王に忠誠の誓約をし,英国国教会による聖餐(せいさん)を受けねばならないと規定した。1828年廃止,1829年カトリック解放法が制定された。
→関連項目寛容法非国教徒ラッセル

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「審査法」の解説

審査法(しんさほう)
Test Act

1673年に制定されたイングランドにおける非国教徒を公職から排除する法律。チャールズ2世のカトリック化政策に反対して,信仰寛容宣言を撤回させた議会は,この審査法を制定して,文武の官職にあるものは,国王至上と忠誠の誓約を行い,イングランド国教会の聖餐を受けねばならないと規定した。1828年廃止。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「審査法」の意味・わかりやすい解説

審査法
しんさほう
Test Act

1673年非国教徒の公職就任を禁止したイギリスの法律。文武の公職につく者に,国王への忠誠誓約と国教会の礼式による聖餐を義務づけた。前年のチャールズ2世の「信仰自由宣言」に対する議会の反撃として成立し,78年議員審査法で上下両院議員にも適用された。 19世紀に自由主義が勃興すると批判が高まり,1828年廃止された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「審査法」の解説

審査法
しんさほう
Test Act

1673年,イギリスで国教徒以外の者,特に旧教徒の公職就任を禁じた法令
議会がチャールズ2世の旧教徒寛容政策に反対して成立させた。1828年に廃止され,翌年カトリック教徒解放法を可決し,旧教徒の公職就任が認められた。

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世界大百科事典(旧版)内の審査法の言及

【イギリス】より

… 19世紀に入ると各方面で改革が進行する。名誉革命後も審査法によって公職や大学への道を閉ざされてきたカトリック教徒は,1829年の解放法で市民的諸権利を回復し,16世紀以来非合法とされてきたカトリック教会の再建が可能となった。国教会内でもオックスフォード運動の結果,教会の自主性回復と自己革新への努力が進められ,教会生活に生気が取り戻された。…

【ラッセル】より

…1813年に下院議員となり,以後,20年代から60年代にかけてホイッグ,自由党内に重きをなし,数々の自由主義的な改革を推進した。まず28年,カトリック教徒の公職就任をはばんできた審査法に反対,同法の廃止と翌29年のカトリック解放法の成立に尽力,30‐32年の第1次選挙法改正に際しては,法案の作成に参画,同法を下院に上程,これを通過させた。35年からメルバーン内閣(1835‐41)の内相,ついで陸相兼植民相を務め,46‐52年に首相となり,47年には10時間労働法を成立させた。…

※「審査法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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